1章 介入の事実を隠し開き直って 恫喝する共産党

この事実に日立神奈川争議団は仰天しました。そして、日本共産党神奈川県委員会小池委員長宛てに2001年10月にこの件に関する申入書を提出しました。以下その申入書の概要です。

「日立神奈川争議は、貴殿もご承知のように、会社と支援共闘会議との間で、全面解決に向けた自主交渉が、去る3月21日から9月6日まで11回持たれています。その結果、会社は賃金是正と資格是正で一定の回答を行い、交渉は大詰めを迎えています。
 この重要局面のなかで、私たちは争議団としての決断が求められています。この決断にあたって、私たちは、改めて争議の原点を確認すると共に、団として団結することが求められています。すなわち、会社は、争議解決のなかでも、一律の資格是正をあくまで認めようとせず、差別を持ちこもうとしているからです。

 私たちは10人全員が一緒に解決してこそ9年余一緒に闘ってきた争議団と言えるものと考えています。また、争議の目的が職場を変えることにあるという立場に立てば、一人ひとりは個人の損得を超えた判断を行うことが重要だと考えています。更には、10人連名で会社に要求書を提出し、その交渉を支援共闘会議にゆだねてきた以上、個々人の意見が同一でなくても、団としての決断を行い、各人はそれに従って更に全面解決をめざして努力をすることは当然の責務と考えています。
 以上のような状況と立場から、私たちは、去る9月12日までに、一人ひとりの団員が団の方針に団結して行くことを確認しようとしていました。そのため争議団事務局は、まだ意思表明を文書で行っていなかった二人の団員に対し、12日の夜に事務所で再度話し合うことを求めていました。ところが二人の団員は、『その日は都合が悪い』と言っていた12日の夜、県委員会で話し合っていたのです(別紙顛末記参照)。しかもその会議に県委員会だけでなく、経過を勘案すれば神奈川労連幹部も同席していたと考えるのが妥当です。争議団事務局が『なぜ団事務所にこないで県に行ったのか』と質問すると『訴願の問題で行った』と答えましたが、党は訴願を集団で取り上げることはしないとのことですから、明らかにウソを述べたのです。(日本共産党中央委員会と県委員会は千代田化工党支部内部の党員の訴願に対し、別の党員が複数で訴願を出したところ、複数の訴願は分派行動にあたるので受け付けないと訴願を拒否し、分派扱いをした事が党内部で広がっていました。)
 その後、この事態をとりつくろうように県委員会が16日に突然、日立神奈川争議団内の党員による党会議を招集しようとし、23日に日立神奈川争議団内の党員と県委員会との話し合いが持たれました。その会議の席上でも私たちは主張しましたように、団に黙って県委員会等と二人の団員が相談していたということは、あってはならないことが起こったという点で極めて遺憾な事態です。争議団として自主的に方針を決めようとしているとき、その決定に介入すべきではなく、一部の団員との会議を開く事は介入であり、団結を破壊するものです。
 そこで、貴殿に対して少なくとも次の疑問点を明らかにするよう求めると共に、再び争議団長でもある私の了解なしに団員を集めた会議を開かないよう申し入れるものです。尚、この申し入れに対する回答は文書で来る10月10日までにいただきたくお願いします。またそれまでに回答がなければ、党中央に対して問題を提起する考えであることも申し添えます。」として、

@「去る9月12日に開催された一部団員を集めた会議を開催するに至った経過とその理由、会議参加者及び会議内容を明らかにすること。Aそれ以前にも、一部団員或いは神奈川労連関係者を集めた会議を持っていたのであれば、その開催理由、日時と参加者及び会議内容を明らかにすること。」を要求しました。

同様の文書を2001年10月に横浜西南地区委員会、県央地区委員会にそれぞれの地区に所属する日立神奈川争議団の党員名で送りました。


                                              
 佐藤明は、2001年
10月20日 日本共産党神奈川県委員会小池県委員長宛てに「神奈川県委員会からの文書への回答」を送りました。その内容の概要は

 「10月16日付け日本共産党神奈川県委員会から簡易書留による私宛の文書は、私が去る10月4日付けで貴神奈川県委員会小池委員長にお送りした文書に関するものであると推察致します。差出人は県委員会とあるだけで、担当部署も名前も無く、これに対する回答の宛先も不明ですが、今までの経緯から、再度小池委員長宛に送付させて頂きます。
 去る10月4日付け文書は本年9月12日に日立神奈川争議団員の小島、原の両氏が出会った出来事に関する疑問点を示し、これに対する貴委員会の回答を求めたものであります。差出人である私の肩書きが日立神奈川争議団団長となっていることから「わが党の活動に対する重大な干渉行為」と立腹されたようですが、共産党員である私が貴神奈川県委員会に回答を求めた文書であることは言うまでもありません。ことの性格は日立神奈川争議団に関することから日立神奈川争議団団長の肩書きを使用しましたが誤解の無いように改めて申し添います。また、貴委員会が言う「争議団長の了解もなしに開いた会議の内容を公表せよ」などと居丈高に質問をしているのではなく文面の通り、共産党員として抱いた当然の疑問点を質問し、回答を求めたもので社会的に公表することを求めたものではありませんのでご了解願います。従って、貴県委員会が10月24日、または26日に県委員会に来るようとのことですが、既に予定もあり、この回答によってその必要は無いものと思料いたしますのでご了解願います。

 追伸)野口労対部長殿
 
 
私の方から私の質問に関して改めて要請致します。10月12日、野口労対部長との電話で私は「私の質問に対する回答期限を越えたのですが回答はどうなりますか」とお聞きしましたところ「検討中」とのことでした。何故遅れているのか、何時回答されるのかについて早急に返事下さいますようお願い致します。

私はこの件に関しては、県委員会から回答がくるまで10月22日以降の赤旗日刊紙・日曜版の配達・集金を辞退します。西南地区委員会、及び居住支部支部長にもこの件を伝えてあることも申し添います。」
 これに対し党県委員会は以下のような文書で、大衆運動に対する介入について、反省・謝罪するどころか、逆に開き直ったのです。

         

2001年10月31日付日本共産党神奈川県委員会名の文書は

「県委員会は、10月16日の文書で、あなたの日立争議団長名による質問状は、『争議団名で日本共産党神奈川県委員会にたいし、争議団長の了解なしに会議を開くな、争議団長の了解なしに開いた会議の内容を公表せよなどと主張するもので、わが党の活動にたいする重大な干渉行為となっています』と指摘し、この問題についての事情を聞くために、県委員会に来ていただくよう連絡しました。
 これにたいして、あなたは10月20日付の県委員長宛の文書の差出人を争議団長名から日本共産党8029支部・佐藤明名にかえたから問題はないと強弁し、大衆団体としての争議団名で、党機関の運営に注文をつけるという原則的誤りについての何の反省も是正もなしにことを済まそうとしています。
 県委員会は、このような無原則的な文書の受け取りを拒否するとともに、今回の問題の発端になっている10月4日付文書の撤回をもとめます。」

 また2001年11月1日付日本共産党神奈川県委員会名の文書は

「日本共産党・日立横浜支部、佐藤明様 県委員会に来て事情を説明することをつよくもとめます」と題して

「前略、あなたは、4日付の佐藤明・日立神奈川争議団長名による質問状につづいて、20日付で党支部・佐藤明名の文書をふたたび県委員長宛に送付されました(この文書は受け取れないので別途返送しています)」。

この文書は、4日付の争議団長・佐藤明名で日本共産党神奈川県委員会にたいし、『争議団長の了解なしに会議を開くな、争議団長の了解もなしに開いた会議の内容を公表せよ』などと主張するわが党の活動にたいする重大な干渉行為という県委員会の指摘に対して、何の訂正もなく、差出人の名前を変えるだけとなっています。

県委員会は、こうした重大な問題を含む今回の問題を重大視し、党員である佐藤明同志から、至急事情を聞いて誤りを正す必要があると考え、あらためて県委員会に来て事情の説明をするようつよくもとめます。

日程は、11月8日(木)午後7時、県委員会とします。

 なお、今回も県委員会のよびだしを拒否する場合は、県委員会としてこの問題についての県委員会の広く明らかにする必要があると考えていることを申し添えます。」

  以上が事の経過ですが、この2001年9月12日以降の様々な日本共産党による神奈川の反「合」権利闘争潰しを物語る象徴的な出来事です。



 日本共産党神奈川県委員会事務所から、日立神奈川争議団員の宮崎良司と中村由紀子が出てきたこと、時をややずらして神奈川労連の中心人物である高橋議長、菊谷事務局長が続いて出てきたこと。日本共産党神奈川県委員会、神奈川労連の一部幹部、それにこの後日立神奈川争議団を脱退し分裂解決した宮崎良司、日立神奈川争議団の佐藤団長を相手に解決金の配分を要求して裁判をおこした中村由紀子が密かに会い、会議を持っていたことは明白です。これは日本共産党の大衆運動、大衆組織、神奈川の反「合」権利闘争への介入を象徴する出来事です。またその事実を指摘して回答を求めたことに対し、神奈川県委員会はなんら回答せず、開き直りの恫喝で答え、横浜西南地区委員会、県央地区委員会も一切回答出来なかったのです。

 大衆組織から政党に組織の自主性を守るために質問することは有りうることであり、それを重大な干渉行為として一切質問に答えないことは(実際は答えられない)大衆組織を対等と見ず、問答無用の態度は、自ら行った介入行為を隠蔽しているからに他なりません。

  

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