第5章 神奈川の反「合」権利闘争への攻撃と弁護士

1.弁護士中心を否定され、他を排除する自由法曹団の一部弁護士

自由法曹団に所属する弁護士は、大企業の公害問題や職場での解雇や企業倒産・解雇、差別を無くすなどの闘いを大企業の横暴を許さない闘いとして位置づけ、積極的に取り組んできました。そして神奈川では、地労委の民主化や司法反動化阻止、職場での解雇や倒産解雇、差別の闘いの前進のために労働者と共に大きな成果をあげてきました。しかし、神奈川の反「合」権利闘争の中で、争議当事者や闘いに参加する労働組合の幹部・活動家は、弁護士の専門性を尊重しつつも争議運動を通じての弁護士との自主・対等を求める機運は、支援共闘会議や各種の問題別共闘会議などで時流となっていきました。争議の解決の仕方でも資本との「自主交渉」による解決が中心になってくると、弁護士は争議の中心から外されたとの疎外感を持つと共に自己献身性が薄れ、金銭慾が増し、「採算」に重きを置くようになり、支援共闘中心のやり方をつぶすために、支援共闘会議方式に批判を集中しました。
こうした流れの自由法曹団所属の一部弁護士、東京中心主義の東京の一部争議関係者、大企業争議を仕切りたい全労連の一部幹部、民主集中で大衆運動を管理したい日本共産党などが神奈川の反「合」権利闘争に様々な口実を作って攻撃をはじめました。
 

2.松井繁明弁護士(元日本共産党法規対策副部長)と関電判決

松井繁明氏はその著作「思想の自由は奪えない」の中で、関電判決を裁判判決の面からのみ捉え、この判決があたかも思想差別闘争の根幹であるかのように評価しました。関電判決が出された背景、東電の裁判闘争を軸にした様々な思想差別撤廃の全国的運動による世論喚起、大衆的裁判闘争を文字通り実践した裁判所への働きかけが大きく各地方裁判所を動かした事等を軽視し、思想差別闘争を正しく評価しませんでした。最高裁までもそれまでの反共的思考では、世論を抑えきれないと判断させるに至った運動の評価を松井氏は低く評価し、東電の5地裁の判決が不十分であったが、関西電力の最高裁判決が、争議を全面解決をさせたとの評価を下し、裁判官会同がいかに下級審を押さえつけ、影響力の大きなものであるかを語る中で、逆に関電の最高裁判決が東電や中電の争議解決を導いたなどとなんら合理的根拠もなく描いています。

日本共産党機関紙赤旗は1996年、元旦恒例となった宮元議長の新春インタビューで、関西電力の思想差別事件の勝利判決を突然とりあげて、思想差別争議が解決し、思想差別を撤回させる実質的成果をあげた東電争議より、最高裁判決は出たものの争議も実態も勝利解決していない関西電力思想差別判決を過大に評価したのです。

事実は東電管内の1都5県の地域住民との共同による要求実現の運動が総行動という形態で結合し、また各大企業職場労働者の思想差別撤廃の闘いが結合し、飛躍的に前進したことが、関西電力の最高裁判決にも少なからず影響を与えたと考えるのが、実態を考慮した正しい評価であると思います。

これについては、その根拠はいくらでも挙げることが出来ますが、松井氏自身が称賛している関西電力の思想を理由とした差別争議は、1995年9月5日に出された最高裁判決後一向に解決せず、4年3カ月も後に解決したのです。

 東電闘争の各地裁に分散提訴し、各地域から運動を強化するという方針に学んで関西電力人権裁判争議団も各地裁に提訴して、これも東電に学んで全国オルグ、全国行動を行い、関電本社への大衆行動を行うなかで、1999年12月8日ようやく解決したのです。しかし、その解決内容は、関西電力弁護団などが自ら出版した「関西電力の誤算」で書かれているように、差別是正をされなかった原告も出るという解決内容でした。

関西電力の最高裁判決を全面的に私たちは否定するものではありません。反共風土の強かった日本の状況を打ち破る積極的な判決であったことは言うまでもないと思います。しかし、最高裁判決と言えども、憲法と同様「紙に書いた文書」であれば、これまた憲法で謳っている「不断の努力」が必要であることはいうまでもありません。

 3.日立解決金請求裁判での大川隆司弁護士(元自由法曹団神奈川支部長)の卑劣な攻撃

日立解決金請求裁判横浜地裁に大川弁護士が提出した訴状では、「争議団の名称を残して今後の活動を推進することにより、被告の背後にあって、県内の労働運動に対する独自の支配権を確立することに固執する神奈川争議団を支持する結果になることが、原告として不本意だったからである。」と根拠もなしに、裁判請求の口実とし、更にその準備書面(3)では、「・・・本件訴訟は日立争議に限らず、多くの労働争議の解決金について、神奈川争議団共闘会議の一部のリーダー(日立争議支援共闘代表の池田実氏を中心とする。以下便宜上「神奈川争議団指導部」という。)が、密室の中で支配権を行使しつづけて来たことが招いた争議支援運動の分裂状態と、一般争議団員の疎外状態を克服するために、公正かつ透明な解決金配分のあり方について、話し合いによる解決を得られなかった原告(中村)が、やむを得ず提起したものであって・・・・」とその主張をエスカレートさせ、最終準備書面では、こともあろうに「・・・神奈川支援共闘指導部の主要な関心の対象が解決金に対する支配権にあった・・・」とまで、デマを書きたてました。

また自由法曹団神奈川支部2006年支部総会議案書では「本件の被告は日立神奈川争議団という単位争議団の団長であるが、『解決金至上主義』の弊害をまき散らしている主体は、周知のとおり、各種争議『支援』共闘づくりの常連グループ(池田実氏らのグループ)であり、被告はいわば『池田チルドレン』の一人にすぎない。

解決金至上主義の弊害は、争議解決後の最終的な場面では、解決金を池田グループ維持存立の物質的基盤に利用し、争議当事者に還元しない、という形になってあらわれる(本件訴訟はまさにこの問題を解決するために提起された)とあたかも解決金を争議当事者に環元せず、グループ維持のために使っているかのようなありもしない主張を展開しました。

これらの根拠の無い大川隆司ら弁護士の主張に対しては、日立解決金請求裁判乙側(佐藤側)第五準備書面でも反論されています。以下は佐藤側第五準備書面の抜粋です。

「2.ところで原告は「日立争議支援共闘代表の池田実氏を中心とする神奈川争議団共闘会議の一部のリーダー」が「密室の中で支配権を行使しつづけて来たことが」「争議支援運動の分裂状態」を招いたなどと分裂の責任を主に池田実氏個人の責任に転嫁する妄想を展開している。 ここでいうところの「争議支援運動の分裂状態」は日立争議の分裂だけでなく神奈川の争議運動の分裂状態を指すものと思われるが、分裂状態を招いた最大の原因は、後述するように「上部組織」の争議運動という大衆運動に対する介入にあるのである。

 池田実氏を中心とした一部のリーダーによる「密室支配」などはでっち上げであり、各争議の支援共闘会議は当該争議団が中心になって民主的に運営されてきたのである。

 そもそも何をもって池田実氏が神奈川争議団共闘会議のりーダーたり得るのか。争議団運動や争議支援に関わった者(弁護士を含む)なら誰でもが承知のように神奈川争議団共闘会議のリーダー(指導部)はその規約に基づき毎年開催される定期総会で現役の争議団の中から選出されているのである。神奈川争議団共闘会議は、争議を闘っている争議団で構成されているが、争議が解決すると、神奈川争議団共闘会議から退団することになっている。

 池田実氏は神奈川争議団共闘会議の結成間もない1979年2月〜1979年9月までの間議長を務めたことはあるが、自身の争議解決後は当然ながら外れており構成員ではないので、役員にはなれない。従って「神奈川争議団共闘会議の一部のリーダー」たり得ないのである。このことは原告自らも1997年1月〜1998年12月の定期総会まで神奈川争議団共闘会議の副議長をしていたのであるから承知しているはずである。当時も今も役員の選出方法、役員の対象者は在籍争議団から選ぶことに変わりはないのである。

 従って、原告準備書面(3)は「神奈川争議団指導部」という存在しない「指導部」をでっち上げて展開しているものであり、その主張は根拠のない妄想に過ぎないのである。神奈川争議団指導部とはどのような人物で構成されている組織なのか明らかにすべきである。

ところで神奈川の争議団が大切にしている原則の一つは「自主的主体的な闘いをおこなうこと」つまり「自らの頭で考えて闘うこと」という点であり、誰かから言われるままに当該が動かされるという「密室支配」があったのでは、資本との厳しい闘いに勝利し得ないことは全ての争議団が肌身に感じていることである。」

       注:原告とは中村由紀子を言う

 

    

4.自由法曹団神奈川支部総会議案書でも神奈川の反「合」権利闘争を執拗に攻撃

 自由法曹団神奈川支部の一部弁護士による神奈川の反「合」権利闘争への攻撃は、それらの弁護士の裁判闘争(争議)における主導権を維持するためのものです。

1996年の自由法曹団神奈川支部総会において星山弁護士の発言は、東京電力争議でも攻撃を行っています。(以下東電解決10周年冊子より抜粋)

「東電闘争は、原告団・支援共闘会議・弁護団三者が団結し、画期的判決と全面解決を勝ち取ってきました。そのなかでH弁護士は、東電闘争神奈川弁護団事務局長、副団長として役割を果たしてきました。ところが争議が解決して2ヶ月後の96年2月に開かれた自由法曹団神奈川支部総会において次のような報告を行いました。

東電思想差別事件解決の意義と要因の中の(3)三者(原告・弁護団・支援共闘)の団結の問題についてのなかで

『争議の解決は運動でやるから、司法反動の下では判決は一つも取らない方針で行く。弁護士が支援共闘に断わりもなく、裁判官に事件の進行に関して面会することは許されない』『弁護団の役割は、法廷闘争での主張・立証が主であり、会社との解決交渉には弁護団は関与しないほうが良い』『全てを最後に決めるのは、解決に責任を持つ支援共闘である』という主張が、一部で強く主張された。これらは、今後の権利闘争の発展、若手の団員の労働事件への参加意欲にも影響を与えかねない論点であろう。」

と述べています。

このH弁護士の発言内容は、東電闘争の実態と全くかけ離れた内容であり、何のためにこのような発言を行ったのか理解できません。東電闘争の事実からこの問題を見ていくことが必要です。

 

a、「争議の解決は運動でやるから、司法反動の下では判決は一つも取らない方針で行く」について

東電闘争の中身を見れば、このH弁護士の報告が出鱈目きわまりないものであることは一目瞭然です。東電闘争で「判決は一つもとらない」などと決めていません。どこの地裁が先行して判決をとるかなどの議論は弁護士を含めて論議していました。

事実、東電闘争では、群馬・山梨・長野・千葉・横浜の五地裁で勝利判決を取り、この判決をてことして全面解決していることから明かです。

 

b、「弁護士が支援共闘に断わりもなく裁判官に事件の進行に関して面会することは許されない」について

この件については、東電闘争神奈川総括集にて弁護士の氏名を伏せて記述した通りですが、H弁護士は、裁判所対応を決めた三者会議の決定を踏み外して、個人的に裁判所への「和解打診」に行ったものであり、明らかなルール違反を行っていながら、事実を歪曲して自由法曹団の総会にて報告したものです。

東電の裁判闘争は、一都五県の地裁で闘われており、闘いの進め方については全体で討議調整して進められておりました。従って統一対応が原則の状況でしたから、一地方が独自に地裁で和解などの動きをすることは統一対応に分断を持ち込む重大な問題でした。

当然、神奈川においても、横浜地裁対応は神奈川の弁護団、原告団、支援共闘会議で相談して一致した対応をとると決められていました。このことは、H弁護士も了解していたことです。それを勝手に踏みにじって裁判所に「和解打診」を行っておいて、「弁護士が支援共闘に断わりもなく、裁判官に事件の進行に関して面会することは許されない」などという報告を行ない、その責任を支援共闘に転嫁することは誹謗・中傷にほかならないものです。

 

c、「弁護団の役割は、法廷闘争での主張・立証が主であり、会社との解決交渉には弁護団は関与しないほうが良い」について

共闘側は、会社との解決交渉に弁護団の参加を要求しましたが、会社は、弁護士を交渉にいれないとの主張を譲りませんでした。合計四十数回の交渉のなかで、裁判終結方法も交渉議題となり、共闘側は、弁護団と連携をしながら、裁判所和解手続きについても交渉を行い、九五年一二月二一日に自主交渉による解決協定書の調印を行い、その協定に基づき東京高裁での一括和解調書を作成し、裁判を終結させました。和解調書の文言も弁護士とも十分相談した上で自主交渉で調整を行い、裁判所に提示して調書を作り法的にも争議解決を完成させたのです。

 これまでの争議では、裁判所和解が多く、当然、弁護士がその対応をしていましたが、東電闘争では、会社の自主交渉の進め方の意向を認め、共闘側は、解決が困難になった場合は弁護団の力を借りて解決する立場を取りました。その結果解決内容も職場の実態が反映された高い水準の解決になったと確信しています。

以上のように東電闘争では、弁護士が交渉団に入らずに交渉が行われ、先に記したように高い水準での解決を勝ち取りました。しかしこれらの諸問題はすべて弁護団と相談し了解の上で進められてきたものです。にもかかわらずH弁護士は、支援共闘会議が「会社との交渉には弁護団は関与しないほうが良い」と弁護士を排除したかのようにねじ曲げて報告しているのです。

しかし、事実はどうでしょうか。東電闘争東京弁護団は、次のように述べています。

「解決交渉を自主交渉中心に進めたことは正しかったと言えます。しかし、弁護団が交渉団に加わらなかったことの当否については、さまざまな意見があり、それぞれの争議の条件に応じて、必ずしも弁護士主導の方式にこだわる必要は無いと考えます。」(「人間の尊厳をかかげて 東京総括集:弁護団総括」)

また、東電闘争支援共闘中央連絡会議事務局次長、東電闘争千葉支援共闘会議事務局長であった門間金初氏の著書「私記 千葉地区労運動小史 東電闘争千葉からの闘い」でも触れています。

「なかでも弁護士を団体交渉の構成員にしなかったことに色々意見が出ました。団体交渉権は、団体の団結意志を基礎にしています。従って『運動と解決に責任を持つ』支援共闘会議の組織があれば支援共闘会議の意志を体現できる団体交渉団を選ぶことにならなければなりません。運動の第一線にたって、解決のための意見と行動が集中される部署にいる者が交渉団でなければなりません。そうして常任交渉団を選びました。また、交渉内容に運動を直結させなければなりません。知恵と力が集中できて、かつ機敏にたちまわれ、全体の闘いをつかんでいる者で構成をくんだものでした。自画自賛になりますが、常任交渉団こそ最強のメンバーであり、全面解決のため縦横にたちまわれる構成だったと思っています。」

 

d、「全てを最後に決めるのは、解決に責任を持つ支援共闘である」につい

東電闘争は、弁護団、原告団、支援共闘の三者で法廷闘争について相談し、それぞれの都県の弁護団も参加して、方針が決定されていました。

運動面についても、統一弁護団(東電の一都五県の弁護団)の代表が、支援共闘中央連絡会議には必ず参加して、討議に加わっていました。

重要な問題については、支援共闘中央連絡会議事務局と弁護団の代表による会議が随時持たれ、情勢、運動、交渉など細部にわたって報告され意志統一がされていました。従って「解決に責任を持つのは支援共闘、弁護士は法的解決をすればよい」などとはH弁護士の作り事にすぎません。

編者注:文中H弁護士とは東電神奈川の弁護士であった星山弁護士

 また自由法曹団神奈川支部総会で勝山勝彦弁護士(日立解決金請求裁判の中村側弁護士)は上記星山弁護士の総会報告発言をうけて自由法曹団神奈川支部の発行した「神奈川支部ニュース」106号(96・04・10)に勝山勝彦弁護士の「労働事件ノーサンキュー」と題する発言を掲載されています。その中で

「私は、これまで支援共闘会議というものを、当該組合・労働者を純粋に支援するものと理解していたのであり、運動・裁判を仕切る意思決定機関とか責任主体とは考えたことはなかったので、『かなわんな。弁護士として耐えられそうもないので、そのような労働事件はやれないな。』と感じたのである」と述べています。

彼は支援共闘会議批判を行い、労働者にとって最も重要な「労働事件」を否定する発言を行っているのです。(自由法曹団神奈川支部総会議案書から)ここに自由法曹団の一部弁護士の弁護士主導、支援共闘否定の本音が出されています。彼(勝山弁護士)は、

「支援共闘会議というものを、当該組合・労働者を純粋に支援するものと理解していたのであり、運動・裁判を仕切る意思決定機関とか責任主体とは考えたことはなかった」

と述べています。つまり、支援共闘というのは支援だけして、運動・裁判を仕切ってはならない。仕切るのは弁護士なのだ、弁護士が仕切れない事件(この場合労働事件)はやれない、「弁護士として耐えられそうもない」と述べているのです。支援共闘は運動の支援だけをやるべきもの、運動・裁判を仕切る意思決定機関などとんでもない、裁判闘争では支援だけをやっていればいいのだと述べているのです。ここには裁判闘争での運動の評価がまったくありません。運動によって裁判が勝訴する、勝利解決するという事実をまったく否定しているのです。

 

 勝山弁護士と共に日立解決金請求裁判の中村側主任弁護士を務めた大川隆司弁護士(当時自由法曹団神奈川支部の支部長)は自由法曹団神奈川支部総会でも勝山弁護士と同様の趣旨から、神奈川争議団や支援共闘会議への不当な攻撃を展開しています。

 04年2月27日に行われた自由法曹団神奈川支部の総会議案に、支部長である大川隆司弁護士は『「日立中村事件」の情景』なる一文を寄せ、その中で

「神奈川の争議団が『解決金』について独自交渉権を確保することにこだわったことに、非常に異和感を覚える。私の常識に照らせば、『解決金』は、いわば形を変えたバックペイである。」「神奈川争議団の行動を分析するキーワードは『カネ』であると言ってよいであろう。解決金を獲得することが争議の主要目的であり、獲得したカネはできるだけ当事者には還元しないで争議団それ自体の拡大再生産の源資にする、という『運動論』があるようだ。しかし、差別の撤廃はバックペイを含めてはじめて言えることであり、この救済がないがしろにされたのでは,職場の仲間の活動家に対する再評価にもつながらないであろう。この原点を離れて、労働者に帰属すべきカネを酒食の宴に投下してみても空しいだけではないか。」

と述べて、労働裁判の闘争勝利に運動が不可欠であり、その為の支援共闘組織が必要である事を全く否定しています。大川弁護士は、「私の常識に照らせば、『解決金』は、いわば形を変えたバックペイである」と述べていますが、運動があってはじめて勝利し勝ち取った解決金は、彼の常識では「バックペイ」、つまり不払い賃金の後払いだと言うのです。彼の言う「バックペイ」であれば、それを取ったのは裁判であり、弁護士が勝ち取ったものであるということになり、成功報酬としてその何割かを弁護士が取るのは当たり前と言うことになります。弁護士法で巨大な特権を与えられていることから全て弁護士が仕切れる、裁判で勝ち取った金はすべて弁護士が仕切れると言いたいのかもしれませんが、弁護士法では弁護士でないものが、裁判を受任してはならないとしていますが、事件の解決で世話になった人に事件当事者が謝礼をするのは違法ではありません。裁判で勝訴したり、不正をあばき勝利的に解決するためには、裁判所内外での運動が不可欠な事件が多数あります。そうした場合の解決で勝ち取った解決金からの報酬は弁護士だけが受け取れるものなのでしょうか。もちろん支援共闘会議は、金が目当てで結成されたものではありませんから、弁護士法との関係もあり、解決金の報酬を当然のこととして要求することはありません。しかし、大川弁護士の言う「私の常識に照らせば、『解決金』は、いわば形を変えたバックペイである」と言えない場合が多数あります。例えば、企業が「バックペイは払わないが、争議解決の一時金なら支払う」と言う場合もあります。その他バックペイの他に運動費用、慰謝料として支払われる場合もあります。こうした事実から、裁判闘争で(法廷内外の運動を含むので単に裁判とは言わない)取った解決金はバックペイであるとの「常識」では無い場合が多いことが分かります。大川弁護士は、解決金=バックペイとして裁判闘争で勝ち取った解決金全てを弁護士報酬の対象、もしくは弁護士法に基づく裁判行為であり、支援共闘など弁護士以外は運動・裁判を仕切るのは許せないと言っているのです。もちろん大川弁護士が言っている

「神奈川争議団の行動を分析するキーワードは『カネ』であると言ってよいであろう。解決金を獲得することが争議の主要目的であり、獲得したカネはできるだけ当事者には還元しないで争議団それ自体の拡大再生産の源資にする、という『運動論』があるようだ。しかし、差別の撤廃はバックペイを含めてはじめて言えることであり、この救済がないがしろにされたのでは,職場の仲間の活動家に対する再評価にもつながらないであろう。この原点を離れて、労働者に帰属すべきカネを酒食の宴に投下してみても空しいだけではないか。」

などというのは、これまでの神奈川争議団の活動を意識的に否定するための誹謗中傷です。

 特に「神奈川争議団が解決金を獲得することが争議の主要目的であり、獲得したカネはできるだけ当事者には還元しないで争議団それ自体の拡大再生産の源資にする」

としていますが、闘い取った解決金は必ず争議団に渡され、争議団は自主的に弁護士や争議で世話になった個人・団体への謝礼額を決めて支払って来たのです。これは大川隆司弁護士のでっち上げに他なりません。お金だけを目的に裁判を起こした争議団はありません。大川弁護士こそ、「差別の撤廃はバックペイを含めてはじめて言えることであり、この救済がないがしろにされたのでは,職場の仲間の活動家に対する再評価にもつながらない」と解決金を評価すること自体、金のために裁判をやっているのではないでしょうか。解決金はバックペイだけではありません、様々な根拠(弁護士費用、運動費用、借入金、慰謝料等々)から要求されて資本から闘いとったものです。しかもそれはみんなの協力で勝ち取ったものです。そこに争議団の生きがい、喜びがあるのです。

 

 5.臨港バス争議に於けるF弁護士辞任問題

a、臨港バス鈴木不当解雇事件は、2004年1月28日、横浜地裁川崎支部で事実誤認の不当判決を受けた。

原告と支援する会は、一審不当判決を覆して勝利判決を得る為、東京高裁へ控訴して闘う決意と準備を進めていた。

 ところが対策会議開催日の前日に、原告のみがF弁護士から呼び出され、「支援する会と手を切らなければ辞任する」と言い渡された。 

b、 自由法曹団F弁護士辞任の弁

  川崎合同法律事務所会議室で原告・弁護士・支援する会事務局が参加して対策会議が行なわれ、F弁護士はこの対策会議で、以下のような辞任についての弁明を行った。

 F弁護士の辞任理由(要旨)

1)、大衆的裁判闘争の考え方が対策会議と根本的に違う。 

2)、判決の中味は悔しいし控訴してやりたいが、皆さんの考え方は変わらないだろうし、私と皆さんとの修復の余地ないので一緒にはやれない。

3)、弁護士は進級ごとに担当するのが任務、私は地裁担当の任務は果たした。

4)、控訴理由書を書くと、後任の弁護士がやりにくいし次の弁護士の領分でもあるので、原告の名前で控訴手続きだけはしておくが、ここで代理人を降りたい

5)、正直言って悪いですが、労働事件は時間ばかりかかって割に合わない、この事件に関わっている分を他に当てれば5人分の実入りになる。

c、F弁護士控訴手続きを放棄

  控訴手続きについてF弁護士に問い合わせると、「書類は作っておくが手続きは自分達で行なってくれ」とのことで、対策会議は事務所で書類を受けとり、横浜地裁川崎支部で手続きを行なったが、裁判所の受付窓口で書類の不備を事務官に指摘され、特に請求金額の間違いがあり、訴訟費用(印紙代)に直接関わるので裁判所の中を行ったり来たりで大変な苦労を強いられた。
 更に、臨港バス(株)の商業登記簿謄本が必要と言われ、法務局へ行って書類を取り寄せて揃え、どうにか期限内に控訴手続きを済ますことができた。

d、後任弁護士として自由法曹団・労働弁護団の弁護士はことごとく受任拒否

  F弁護士より辞任宣告を受け、慰留はしたが全く聞き入れてもらえず、後任の弁護士の紹介も依頼したが、川合(川崎合同法律事務所の弁護士)は全員ダメよ!と断られてしまった。
 また神奈川や東京の自由法曹団や労働弁護団の主だった弁護士に受任について依頼したが、ことごとく受任を拒否された。
 この背景には前記のように、自由法曹団の神奈川争議団共闘会議潰しの陰謀が有ります。日本共産党神奈川県委員会が2000年に神奈川争議団共闘会議を一方的に避難し全県的にこの神奈川争議団共闘会議の壊滅作戦を展開しました。
 またこれに呼応して神奈川労連が日立争議、東芝争議を分裂させるという異常な攻撃を展開し民主的な運動体を次々と破壊する行動を展開しました。
 自由法曹団もこれに追随して各民主団体から脱会し、さらに日立中村裁判では、私利私欲に走った原告を支えて主任弁護士を担いその片棒を担いでいたのです。
 このような中で鈴木争議が神奈川争議団共闘会議に所属し、その闘いの中心に神奈川争議団闘会議が有ったため、これを拒否する自由法曹団の方針として弁護士受任拒否問題が生じたのです。

これらのことは、闘い方や組織が気に入らない争議については任務も途中で放棄するという弁護士本来の倫理規定にも反する異常な行動であると言わざるを得ません。


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