千代田化工争議や日立争議での日本共産党中央委員会の介入については、千代田化工争議での争議団員を無視した秘密交渉事件、争議解決金の配分について日本共産党神奈川県委員会労働組合部長の一方的な指導があったり(ある争議団員の想い参照)、日立争議では日本共産党神奈川県北東地区委員会小沢副委員長の「党中央の荒堀や犬飼の指導の下に行われている」との地区支部長会議での報告からも、反合権利闘争への介入が中央委員会の指導のもとに行われていたことが明らかになっている。
こうした経過、情勢の中で1999年、日本共産党神奈川県委員会は、当時日立神奈川争議団が争議解決をめざす闘いで、「大企業の横暴を規制する神奈川連絡会」との共同の運動を始めると、この運動と組織を潰すために神奈川労連の高橋議長、菊谷事務局長、岡本事務局次長らを使って妨害してきました。
1.大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成をめぐる日本共産党神奈川県委員会の介入、神奈川労連の覇権主義についての経過
1999年
1月14日 反合対策委員会
大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成について討議
15日 神奈川争議団役員会
大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成について討議
1月**日 神奈川労連幹事会
大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成について反合対策委員会の討議状 況報告
1月29日 連合職場連絡会事務局会議
大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成について討議
1月30日 大企業の横暴を規制する神奈川連絡会準備会開催
・2月17日結成を午後の集会で提起確認
2月14日 神奈川労連4役と神奈川連絡会準備会との話し合い
神奈川労連:高橋議長・菊谷事務局長・岡本事務局次長・池田事務局次長
連合職場 :山田・大高・佐藤・吉井・小坂・袖山・古川
・2月17日結成にあたって神奈川労連参加問題打ち合わせ
・合意 1、予定通り結成する
2、神奈川労連は機関会議で承認手続きがいるので遅れて参加
3、大企業の横暴を規制する神奈川連絡会議長などは神奈川労連参加後決める
2月17日 大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成会議
豊田、大高、円地、高橋、浜永、城間、西島、宮城、古川
2月23日 神奈川労連幹事会
別組織を提案
3月 5日 労連情報170号発行(2月23日幹事会内容発表)
3月 6日 大企業の横暴を規制する神奈川連絡会と神奈川労連の話し合い
菊谷=豊田、佐藤、古川と話し合った。古川から野口に「参加する方向を確認したではないか。梯子をはずした。」と言った。6月5日に日本共産党神奈川県委員会野口・鈴木と古川で話し合った。
野口「1、労連Gからいいのか、見解を仰ぎたいと話あり。
2、連合職場連絡会を含め、どういう方向を進めるか方針を出したい」と言っ た。
6月15日 神奈川労連内でリストラ対策会議結成相談会開催
今後、調整をはかるとの議長集約
7月17日 日本共産党神奈川県員会労働部(野口・中島)と連合職場連絡会古川事務局長と話 し合い
7月22日 リストラ対策会議結成
9月15日 日本共産党神奈川県委員会で話し合い
日本共産党県委員会:小池・鈴木・野口・中島
神奈川労連:高橋・岡本・池田・松本
大企業の横暴を規制する連絡会:豊田・山田・佐藤・古川
(提起:野口)
@事実経過について神奈川労連の一部幹部はねじ曲げ、道理がない。しかし、組織を使い他の問題を絡め逆宣伝に終始。
A日本共産党神奈川県委員会の強引な介入。神奈川労連と一体。その後、各争議団や元争議団組織への攻撃強まる。しかし、反対多い。
Bリストラへの反撃は労働運動の今日の重要な課題。正面からの闘いこそ必要。
結成した大企業の横暴を規制する連絡会の活動をやむを得ず休止した。
以上が大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成に関する経過ですが、この経過を見れば明らかなように、当初神奈川労連も大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成に賛成して参加を了解していたのですが、一部幹部は後になってこれを覆すことを決め、日本共産党県委員会を介入させ結成を妨害し、別組織を一方的に結成して事実上分裂行動をとり、既成事実をたてに先に結成した大企業の横暴を規制する神奈川連絡会の結成を潰してしまったのです。
以下はこの件についての「ある元争議団員の想いT」に書かれた内容です。
<県党の介入でつぶされた大衆組織「大企業連絡会」>
いずれにしても、本来県党の指導の下にあるべき組織が「勝手に」全県的な行動を起こしていることを問題にしています。その具体例が、99年2月結成の「大企業の横暴を規制する連絡会」であるとしています。この連絡会は神奈川労連と事前の協議をして「神奈川労連としても後から参入する」という了解の下に立ち上げたものですが、後になって県党一部幹部の「指導」が入り介入したため、神奈川労連は内部に「大企業のリストラと闘う対策会議」をつくって、大企業連絡会には入ってこなくなったものです。この経過は党の大衆組織引き回しそのもので労働運動に対する介入です。しかも、この方針を決める上で、大企業連絡会に携わった党員には一切意見を求めず、後になって当事者が問題を提起すると言い訳の会議を招集して「解散すべきだ」という結論だけを押しつける有様でした。」
2.神奈川争議団共闘会議への分裂攻撃
1970年代に入ると資本の攻撃が激化する中で、倒産や解雇争議が次々と生ずるなか川崎や横浜で地域争議団共闘会議が次々と組織化されました。
更に1974年湘南争議団共闘会議が結成されると、それに続いて1976年に県央争議団共闘会議が結成し、神奈川県内に四つの争議団共闘会議が結成されました。
こうした状況の中で県内争議団の統一体の結成が話し合われ、紆余曲折を経ながら1977年9月3日から三日間、西丹沢の「中川荘」で結成総会を開き神奈川争議団共闘会議が発足しました。
神奈川争議団共闘会議は「争議団の原則的な闘い」を
・闘いの原点をつねに明らかにすること
・自主的・主体的な闘いをおこなうこと
・労働運動の階級的統一、革新統一戦線の結成を目指す闘いに寄与すること
の3項にまとめこれを基本に運動を展開してきました。
神奈川争議団共闘会議は闘いを自主的主体的に発展させながら2008年2月13日までに156の争議を解決し神奈川の反合権闘争の中心的役割を担ってきました。(資料:神奈川争議団共闘会議争議解決一覧表参照)
その主な争議は日産厚木部品賃金差別事件、同除名解雇事件、日本鋼管淺野ドック賃金差別事件、池貝鉄鋼指名解雇争議、NKK賃金差別事件、千代田化工越智解雇事件、三菱鎌電伊藤解雇事件、山武ハネウェル差別事件、小田急賃金差別事件、雪印賃金差別事件、東京電力思想差別事件、千代田化工賃金差別事件、NKK中高年賃金差別事件、日立神奈川賃金・男女差別事件、東芝賃金差別事件等々で画期的な勝利を勝ち取り大きく運動を発展させてきました。
(4)日本共産党神奈川県委員会の異常な神奈川争議団共闘会議潰しの結果
神奈川の反合権利闘争で大きな成果を上げ更に前進させるため奮闘していた神奈川争議団共闘会議に対し、日本共産党神奈川県委員会は2001年異常な分裂攻撃を行ってきまた。
その結果、各争議団の神奈川争議団共闘会議からの脱退が相次ぎ、更に神奈川労連とその加盟組織。またそれまでは神奈川争議団加盟の各争議の主体的弁護団であった自由法曹団や労働弁護団がこれまたあいつで神奈川争議団共闘会議に関係する諸団体(争議団、支援団体、支援共闘会議)から脱退するという異常な状態が生じました。
1.各争議団の神奈川争議団共闘会議、各地域争議団共闘会議からの脱退
・国労横浜「人活」争議団が神奈川争議団共闘会議からの脱退。
・平和学園青山解雇争議(私教連労組所属)が横浜争議団を脱退。
・相模原南病院労組が県央争議団を脱退。
・全国一般SMK分会が神奈川争議団を脱退。
・新日本石油化学差別撤廃争議団が神奈川争議団を脱退。
2.各弁護団及び神奈川労連の民主運動組織からの脱退
司法反動化阻止5者連絡会議
神奈川労連、自由法曹団神奈川支部、神奈川労働弁護団が脱退。
神奈川地労委民主化対策連絡会議
神奈川労連、自由法曹団神奈川支部、神奈川労働弁護団、横浜北部地区労、
湘南合同法律事務所が脱退。
3.日本共産党神奈川県県委員会と神奈川労連からのこれ以降の攻撃
・日立神奈川争議団に対する分裂策動攻撃(日立争議参照)
・東芝差別争議に対する分裂攻撃(東芝争議参照)
(5)神奈川争議団共闘会議の現状
2011年神奈川争議団共闘会議は、全ての争議が解決し、新たな争議団は加入してくる状況になく、運動そのものはほとんど無い状態になっています。
しかし相次ぐリストラのなかで、期間工や派遣労働者の争議は急激に増加していますがこの闘いを勝利させる運動体は残念ですが神奈川にはありません。
(6)日本共産党中央委員会、神奈川県委員会は誤りを認め自己批判し直ちに謝罪を
このような結果を招いたのは、日本共産党神奈川県委員会が行った、神奈川争議団共闘会議潰しにあることを自覚し、日本共産党神奈川県委員会がその誤りを認め自己批判し、神奈川争議団共闘会議及び関係各人に謝罪し誤りを直ちに訂正することが求められています。
地労委民主化運動への日本共産党の介入経過
神奈川の地労委民主化闘争は、1970年代以降の長年にわたる粘り強い厳しい闘争を背景に、「実効確保の措置勧告」や、国労バッジ事件の救済命令(2003年1月16日)が出されるなど、大きな前進をとげてきました。
しかしながら、日本共産党の神奈川の反「合」権利闘争への介入、組織破壊の攻撃のなかで、神奈川労連などが地労委民主化対策連絡会議(以下連絡会議)から離脱するに至り、地労委民主化闘争は重大な危機に陥りました。
2000年9月以降、神奈川労連は連絡会議に対し、総会で決定された事項に難くせをつけ、連絡会議事務局長は神奈川労連から出すこと、神奈川労連に事務所所在地を置くこと、などの主張を行なうようになりました。
2001年8月1日の連絡会議第4回役員会議で「神奈川労連の一連の文書等に対する見解(案)」をまとめ、議論を進めるため加盟団体に送付しました。これに対し、神奈川労連の一部幹部は、2001年8月22日に神奈川労連幹事会で、
@組織の民主的運営からも定例では8月となっている定期総会開催を期限を決めて求める。 A連絡会議は神奈川労連外の組織が結集しているといっても、連絡会議の結成は神奈 川労連が呼びかけ、一貫して事務局を担当してきた経緯、さらに神奈川労連方針を誹謗することを目的としているとしかいえない8月1日付け「神奈川労連の一連の文書等に対する見解案」発表・送付の責任を明確にする上からも事務局体制と事務所所在地の刷新を求める。 会開催を拒否する場合、神奈川労連として独自に地労委民主化運動に取り組むことを明らかにする。また、民主的運営が拒否された組織に神奈川労連が参加するのは運動の責任上問題があるので代表委員、事務局、幹事の派遣要請には応じない。 |
等とする「地労委民主化対策連絡会議への対応案」を提案し、翌日の8月23日に開催された連絡会議第6回幹事会において、「地労委民主化対策連絡会議の運営に関する神奈川労連の見解」として発表しました。
このような状況の下、2001年9月28日、ほとんどの役員が出席した連絡会議幹事会が開かれ、当連絡会議と神奈川労連の団結を回復するため、共同行動や関係修復の折衝を求める意見が多くの代表委員から出されました。そして、この会議の結論に基づき、団結回復に向けた共同行動や関係修復折衝が始まりました。
しかし神奈川労連の一部幹部は、関係修復折衝の最中、11月28日に開いた神奈川労連第5回幹事会で事実上離脱の方針を提案しました。
そして、2002年1月12日の評議員会で、団結回復の努力をやめて連絡会議から事実上離脱し、別の運動を起こすとする「地労委民主化対策連絡会議についての報告」を提案しました。そして神奈川労連の一部幹部は、2002年9月7日〜8日に行われた神奈川労連第18回定期大会で、事実上連絡会議から離脱しておきながら連絡会議との関係を「凍結」したと事実と異なる報告を、次のように提案しました。
地労委民主化対策連絡会議は、大会後も事務局長が連絡会への神奈川労連の『補助金』についての事実誤認の文書を事あるごとに配布し、神奈川労連傘下の労組をオルグするなどの状況が続けられていました。神奈川労連としては事実を説明し、会議の民主的運営など求めていましたが、「連絡会事務局長」は運営の改善をはかるどころか、神奈川労連に対し「組織介入に謝罪せよ」などと要求して、話し合いにならないため、幹事会として地労委民主化対策連絡会議との組織的対応は凍結することを確認しました。今年に入ってからは、神奈川労連として地労委の委員の選任とあわせ、地労委の民主化や司法改革などについても、自由法曹団や労働弁護団などと共同して取り組みを進めています。 地労委の民主化(審問期間の短縮、夜間審問、早期命令をだすことなど)を勝ちとるとりくみを引き続き重視します。 |
(3)神奈川労連の連絡会議からの離脱方針について
2002年1月12日の神奈川労連の評議員会文書には、重要な内容が含まれています。
神奈川労連の一部幹部が提案したこの文書は、以下の点で事実に反しています。
1)「財政面ではビラ代、会議費などの実費を神奈川労連が負担してきました」という部分では、あたかも神奈川労連が全部出してきたかのように書かれていますが、実際には「ビラ代、会議費などの実費の一部を30万円〜50万円の地労委対策費の範囲内で、地労委民主化対策連絡会議の請求に応じて支払いのために振り込んできました」とするのが正しい表現です。
すなわち、連絡会議の活動費の約半分は神奈川労連からでていましたが、残りの約半分は、神奈川労連以外の労働組合や争議団、争議団OB、弁護士団体などの会費やカンパ等でまかなわれていたのです。つまり、当連絡会議は神奈川労連の下部組織ではなく、独立した団体として存在してきたのです。この実態認識の違いが問題の原因となっていたので、神奈川労連との組織関係は「団体間共闘」であると、その都度指摘してきました。
2)「2000年8月の連絡会議総会以後、事務局長などが「神奈川労連が『50万円の補助金を3万円の会費に減らした』などとオルグした」という部分があります。
神奈川労連の一部幹部は1999年の夏、それまでの30〜50万円の地労委対策費の範囲で支払うのを改め、他の加盟団体と同様に会費を出すことに変えましたが、具体的に金額を決めず会費は支払いませんでした。このため連絡会議は財政困難に陥り、これを打開するため、1999年秋から、新たな加盟オルグやカンパ要請を行い、実態を訴えたのです。これを行ったことが神奈川労連に対する誹謗中傷であるとは、とんでもありません。なお、神奈川労連は2000年1月17日になって、会費を3万円と決め、納めました。団体間共闘だからこそ会費を決め納めたのです。
3)神奈川労連の一部幹部は「事務局長が一方的に『見解』を発表するなど神奈川労連を誹謗する事態が生まれました」と非難していますが、連絡会議が神奈川労連を誹謗した事実はありません。神奈川労連の一部幹部が2000年9月の幹事会で事実に反する一方的な非難キャンペーンを始めたのが発端です。連絡会議はこのようなやり方はやめてほしいと何度も要請しました。しかし、この当たり前の要請に一切応えず、身勝手な主張をエスカレートしていったのです。これは民主主義の原則から外れるものです。
4)「正常な組織機能を失ってしまった地労委民主化対策連絡会議」と神奈川労連の一部幹部は述べていますが、「会議に参加しない。会費も払わない。役員も送らない」と自から提案し、正常な機能をなくす行為を行っていることが原因です。連絡会議は、組織の分裂を固定化することを極力避け、統一回復の努力をしてきました。自らが組織機能を失わせる行為を行っておいて、「正常な組織機能を失ってしまった」とは、あまりに身勝手な言い分です。
神奈川労連の一部幹部は、この間、ことある毎に連絡会議の前・現事務局長の個人名をあげて個人攻撃を行ってきました。こういうやり方は多くの心ある人達のひんしゅくをかっています。この個人攻撃というのは、ある特定の人物を悪者扱いにして本質を隠すやり方です。個人が悪い、他はうまく乗せられているとして分断をはかることは、民主的労働運動には無縁なやり方です。
神奈川労連の一部幹部は東芝争議や日立争議で、分裂行動をとっている団員が書いた一方的な個人攻撃の文書を配布したり、長い間分裂行動をとり争議団を脱退した元団員の報告集会を事実上共催するなど、異常な対応をとっています。
神奈川労連の一部幹部は「自由法曹団、労働弁護団の協力もえて広範な労組、争議団、民主団体との共同した取り組みを行います」としていますが、これでは、連絡会議と同じような取り組みを、神奈川労連が別に行うという分裂行動です。原則を踏み外したこのようなやり方では地労委民主化闘争は前進しません。
(6)日本共産党の大衆運動への介入がもたらした地労委民主化闘争の衰退
大きな成果をあげ、神奈川の反「合」権利闘争前進に大きな役割をはたした地労委民主化の運動に対し、日本共産党の介入方針に基づく、神奈川労連、自由法曹団神奈川支部、神奈川労働弁護団などの地労委民主化対策連絡会議からの脱退と分裂活動により、地労委民主化運動や司法反動化阻止の運動は衰退して行きました。それは、神奈川労連第24回大会(2008年9月)の大会議案でも労働委員会民主化闘争の衰退の事実が数多く明確になっています。同第24回定期大会に提出された「07年度会計報告」の収支決算報告で県労委闘争費は予算30万円に対し、12万9160円を県労委裁判などの関係で弁護団に支出しているだけで、運動が裁判だけになってしまったこと、また神奈川労連の第25回大会(2009年9月12日)の定期大会の収支決算報告では地労委闘争費は予算30万円に対し支出はゼロ円で、会計報告では「今年度は運動をおこなわずに支出しませんでした」と記載されており、反「合」権利闘争の衰退を象徴的に表しています。
地労委民主化対策連絡会議が活発に運動を行っていた時には、財政も連絡会議に加盟する団体からの会費と神奈川労連の会費で毎年80万円位の支出がありました。財政規模からだけみても、運動の違いがはっきり表れています。
「五者連」と地労委民主化対策会議からの脱退が弁護団と労働組合からあいつぎ行われ、司法反動化阻止闘争や地労委民主化闘争に分裂が仕掛けられました。
2002年9月8日に行われた神奈川労連第18回定期大会で地労委民主化対策会議から事実上脱会を決定
2003年6月2日横浜北部地区労が地労委民主化対策会議から脱会を決定。
2003年6月30日神奈川労働弁護団が地労委民主化対策会議から脱会。
2003年7月4日自由法曹団神奈川支部が地労委民主化対策会議から脱退。
2003年7月18日湘南合同法律事務所が地労委民主化対策会議から脱会。
こうした状況を反映して地労委民主化対策連絡会議は、活動を休止する状態が続いています。そうした中で、2010年4月19日、神奈川県は神奈川労連の水谷議長を神奈川県労働委員会の労働者委員に任命しました。これは地労委民主化対策連絡会議をはじめ、多くの団体・個人が粘り強く任命を要請してきたことの成果です。ようやく連合独占の壁を破ることができました。しかし、残念ながら労働委員会の民主化を推進する運動は停滞しており、この成果を生かすための運動の構築が不可欠になっています。
4. 連合職場連絡会への攻撃
1990年1月13日神奈川労連が結成されたが、これに伴い各種の取り組みが労働運動でもはじまった。神奈川労連が結成される以前から、労働戦線の統一めざすとして、連合結成に対抗したナショナルセンター結成のための統一労組懇運動が取り組まれ、神奈川では「労組連絡会議運動」などが取り組まれていました。反合権利闘争では、解雇撤回、差別是正などの取り組みや、司法反動化阻止、地労委民主化の運動が取り組まれていました。
神奈川労連結成後、連合に所属する大企業職場の労働者、主に共産党員とその支持者の職場からの運動が職場内外から求められていました。こうした機運の中で、1990年6月3日に「『連合』職場での要求実現闘争を前進させる交流討論集会」を神奈川労連議長を実行委員長とする実行委員会を結成して取り組み、当日は横浜市従会館に78の職場から200名が参加しました。この成功を受けて実行委員会は、その後討議を続け、「『連合』職場の要求実現闘争を前進させる神奈川連絡会」(略称「連合職場連絡会」)を結成することで合意し、1990年12月17日の代表者会議の代表者会議で会則を承認し、1991年1月には、連絡会への参加申込書(よびかけ)を配布して、参加を呼びかけました。
1999年1月30日、会則の一部を改訂し現在に至っています。
結成後参加者・団体からの職場要求、職場の実態報告、活動内容などの交流が行われていきました。そして、活動は、共通のビラによる連合職場門前でのビラ配布行動などに発展していきました。
(2)連合職場連絡会の会則
連合職場連絡会は、下記の会則を決定して取り組みを開始しました。
( 略称 「連合」職場神奈川連絡会)会則 (一)名称と構成 この会は「『連合』職場の要求実現闘争を前進させる神奈川連絡会」(略称『連合』職場神奈川連絡会)と称し、神奈川の『連合」職場や大企業職場などで、職場の要求実現闘争を前進させるために闘っている団体、職場の有志をもって構成する自主的な組織とします。 (二)目的と活動 1.この会の目的は、『連合」職場で要求実現闘争を闘っている仲間が自主的に交流し、県下の闘う労働組合と協力し合って、職場における活動の強化と相互の連帯を強めることを目的とします。 2.この目的を果たすため、次の活動を進めることとし、当面、可能な分野から取り組みを始めます。 @職場代表による代表者会議の定期開催。 A情報の交流、交換のためのニュースの発行。 B学習会、討論集会、決起集会の開催。 C一致する要求に基づく統一行動。 D差別・解雇など、闘う職場の仲間との連帯の強化。 Eその他、目的達成のための活動。 (三)役員および運営 1、この会には次の役員を置きます。また役員の選出は代表者会議で行います。 代表委員 若干名、事務局長 1名、事務局次長 若干名、幹事 若干名、 2、この会には運営を担当する幹事会をおき、代表者会議の準備、その他の活動の打ち合わせを行います。このため、幹事会は必要に応じて開きます。 3、各々の職場代表者による代表者会議は、毎月一回を原則として開催し、交流と活動への取り組みを協議します。 (四)財 政 1、この会の財政は、分担金およびカンパでまかないます。 分担金は、団体500円/月、個人250円/月とします。 (五)その他 1、この会則は1990年12月17日の代表者会議の承認で実施します。 2、この会則は幹事会で協議し、代表者会議にかけ改廃することができるものとします。 |
従来に会則から、役員の構成の改正、神奈川労連との関係を明記するなどと共に事務所を定めた。1999年まではJMIU神奈川地本が連絡先になっていた。
( 略称 「連合」職場神奈川連絡会) ○会 則 一.名称と構成 この会は『連合」職場の要求実現闘争を前進させる神奈川連絡会(略称「連合」職場神奈川連絡会)と称し、神奈川の『連合」職場や大企業職場などで、職場の要求実現闘争を前進させるために闘っている団体、職場の有志をもって構成する自主的な組織とします。 二.目的と活動 1.この会の目的は、『連合」職場で要求実現闘争を闘っている仲間が自主的に交流し、神奈川労連や地域労連と協力・共同して職場における活動の強化と相互の連帯を強めることを目的とします。 2.この目的を果たすため、次の活動を進める。 @職場代表による代表者会議の定期開催。 A情報の交流、交換のためのニュースの発行。 B学習会、討論集会、決起集会の開催。 C一致する要求に基づく統一行動。 D差別・解雇など、闘う職場の仲間との連帯の強化。 E神奈川労連や地域労連との連帯・共同行動の強化。 Fその他、目的達成に必要な活動。 三.役員および運営 1.この会には次の役員を置きます。また役員の選出は代表者会議で行います。 ・代表委員 若干名 ・職場代表者 各職場から代表1名 ・事務局長 1名 ・事務局 職場代表者から若干名 2.この会には運営を担当する事務局会議を置き、代表者会議の準備、その他の活動の打ち合わせを行います。事務局会議は定例に開きます。 3.各々の職場代表者による代表者会議は毎月一回定期的に開催し、交流と活動への取り組みを協議します。 4.事務局会議、代表者会議には必要に応じて神奈川労連代表の参加により開きます。 四.財 政 この会の財政は、分担金およびカンパでまかないます。 分担金は、団体500円/月、個人250円/月とします。 五.事務所 事務所は、神奈川電力労働者会館内に置きます。 住所 〒221−0823 横浜市神奈川区ニツ谷1一11ーB 六.その他 会則は事務局会議で協議し、代表者会議にかけ改廃することができるものとします。 1999年1月30日 改正 |
太字で斜字は主な改定内容
(3)連合職場連絡会取り組みの経過
90/06/03 6・3「連合」職場での要求実現をめざす6・3交流討論集会
市従会館4F 78職場・200名参加
90/12 「連合」職場神奈川連絡会を結成
代表委員:杉村(NKK希望の会)大高(NKK権利闘争を進める会)
亀山(明厚会)
事務局長:村山(池貝)
91/03/09 3・9春闘討論集会 30団体,70名
91/12/22 92春闘学習会 会場 横浜市従会館会議室
講師 JMIU本部 小林書記長
「大企業労働者と青年労働者の変化」
93/03/27 3・27春闘討論集会
93/5/29 日産座間工場閉鎖反対5・29行動,討論集会
・午前 工場周辺5000枚のビラ配布と宣伝カー3台で地域宣伝行動
・午後 討論集会 座関東地区文化センター
・参加者 44団体、1
0 6名
94/ 02/27 2・27春闘討論集会 事務局長 村山→円地(山武職自連)
・特別報告「地域から大企業を包囲する闘い」:神奈川労連事務局次長池田実
・職場報告 山武、小田急、アンリツ、NKK権利、NKK希望の会、明厚会
・参加者 35団体,69名 市従会館
94/10/0 6 10・6大企業、「連合」職場の交流討論集会
・94秋の神奈川総縁行動実行委員会と共同行動
・川崎駅ルフロン前で350名 17:00〜 NKKリストラ「合理化」反対宣伝行動
・延べ2000名参加
95/ 05/27 5・27大企業,「連合」職場の交流討論大集会
・サブタイトル「カラを破れ!闘いに息吹とロマンを」
・パネルデスカッション
・参加者 48団体、106名 市従4Fホール
97/01/26 97春闘討論学習集会 ランドマーク
・講演「職場の変化と97春闘」 : JMIU日産 坂の下支部長
/09/26 26県下いっせい大企業「連合」職場門前宣伝
・53門前 17000枚配布
98/ 01/24 98春闘学習決起の集い
・講演 JMIU中央 金田 豊
・場所 鶴見会館
98/05/23 98春闘総括討論集会 事務局長:円地→古川(電力連絡会)
・場所 鶴見会館
・来賓 畑野君枝(共産党),池田実(春闘共闘)
・講演「連合」職場の労働運動の前進と参議院選挙
鈴木 明(日本共産党中央委員,NKK党委員長)
・支援決議 NKK京浜労組役選介入事件横浜地裁判決
99/01/30 大企業の横暴を規制する神奈川連絡会準備会
・神奈川争議団、日立神奈川支援共闘会議、連合職場連終会の3団体が呼びかけ団体
・呼びかけ文確認、神奈川労連の参加を呼びかける
・午後の学習集会で呼びかけ文の配布を確認
99/01/30 99春闘学習討論集会(連合職場主催)
・講演 世界経済の構造的矛盾と99年春闘 大木一訓(日本福祉大教授)
99年春闘で地域から大企業を包囲しよう 池田 実(神奈川国民春闘事務局長)
・会場 鶴見会館
99/02/07 2・7県下いっせい職場門前統―宜伝行動
99/02/14 労連4役と懇談:大企業の横暴を規制する神奈川連終会結成確認
99/02/16 大企業包囲争議支援総行動
・その後,神奈川労連は別組織「リストラ反対闘争本部」(後にリストラ対策
会議)を結成。
99/03/13 日立戸塚地域宣伝行動:大企業の横暴を規制する神奈川連絡会との共同ビラ配布
99/05/09 東芝幸区地域宣伝行動:大企業の横暴を規制する神奈川連絡会との共同ビラ配布
99/11/11 「財界の21世紀戦略を許すな 11・11討論集会」
主催:財界の21世紀戦略とどう闘うか集会実行委員会
(連合職場連絡会と神奈川争議団の共催) 鶴見会館
講演 労働運動総合研究所理事 西村直樹氏
報告 NKK、東芝、日立、雪印、旭ガラス
99/12/20 反合対策委員会
労連内部肺組織のみの委員会に組織替えするとし,オブザーバー参加の神奈川争議団、「連合」職場連絡会,地労委民主化対策会議を次回から除くことになる。
00/02/05 春闘共闘討論集会(連合職場主催) 鶴見会館
初旬 「連合」職場門前宣伝行動
00/05/20 5・20学習討論集会
・講演 商法改正と労働契約承継法のねらい:伊藤 幹郎弁護士
・転籍攻撃と職場からの闘い報告:NKK,東芝,日立
・52名参加 鶴見会館
00/11/11 1 1 ・ 1
1財界の21世紀戦略とどう闘うか学習討論集会
・講演 財界の21世紀戦略とその闘い:西村 直樹(金属研究所)
・五職場から闘い報告:日立,NKK鶴見,東芝,旭ガラス,雪印
・参加65名 ’ 鶴見会館
01/05/26 5・26春の学習討論集会:大企業の解雇・転籍攻撃に負けてたまるか
・講演 日本経済の動向と労働者のたたかい
大木 一訓(日本福祉大教授)
・特別報告・池貝全員解雇との闘い:JMIU池貝支部
・職湯報告 大型合併と職場の闘い:NKK中高年争議団
・参加89名 鶴見会館
01/07/31 神奈川労連などが参加する反合定期協議との協議
定期協議の団体から「連合」職場,地労委民主化対策会議を対象から外す労連幹事会決定問題についての論議に終始
01/11/17 11・17秋の学習討論集会 横浜・酒販会館
職場報告:リストラの特徴と職場状況
NKK鶴見、日立、ユニシア、東芝
講演 リストラと法の活用
伊藤幹郎弁護士(労働市民法律事務所)
2001年以降は共産党が容認する学習と交流になり、運動が無くなった。
02/03/09 春の学習討論集会 於:鶴見会館
03/10/18 03秋の「連合」職場学習討論集会 神商連会館
04/04/10 春の連合職場討論集会 於;横浜:神商連会館
成果主義の徹底分析とたたかいの方向
04/11/13 秋の連合職場討論集会 於;鶴見会館
今こそ安心して働ける俺たちの職場を
05/04/16 05春の「連合」職場学習討論集会 鶴見会館
今こそ安心して働ける職場を
05/11/12 05秋の「連合」職場学習討論集会 鶴見会館 26団体58名
成果主義ってなんですか
06/10/28 06秋の「連合」職場学習討論集会 電力労働者会館 44名
偽装請負・転職強要 そして、ごまかしの雇用延長を許してたまるか
08/04/19 連合職場08春の学習討論集会 電力労働者会館 16団体36名
08/11/29 連合職場08秋の学習討論集会 電力労働者会館 13団体36名
09/04/25 連合職場09春の学習討論集会 電力労働者会館 31名
(4)日本共産党神奈川県委員会の指摘する問題点
日本共産党神奈川県委員会は2000年11月8日の県委員会総会で神奈川の反合権利闘争について、公式に介入方針を決定して攻撃を開始しましたが、その決定の中で連合職場連絡会について、要旨以下のような「問題点」をあげています。
1)連合職場連絡会の問題点、 イ)門前宣伝、門前ビラを取り組んでいる ロ)神奈川争議団共闘の行動に積極的に参加し、争議解決のため奮闘すると共に、解決した争議団が連合職場連絡会の中核になっていくとしている。 ハ)連合職場連絡会が中心になって、そして争議団共闘が加わって、そして、日立の支援共闘が加わって、大企業の横暴を規制する神奈川連絡会と言う運動体を作って行く ニ)春闘の集会でデモヘの隊列編成をする。 ホ)学習と交流と言うことを中心にしてという最初の動き、目的から言って問題がある。組織強化が急務と言っている。行動部隊になっている。以前の運営と違ってきている。 ヘ)大企業を地域から要求で包囲する行動と運動だが、争議相手の大企業や自治体の要請、申し入れが実践的な中心になってしまって、それが反「合」権利闘争を通じて、大企業を地域から要求で包囲すると言う位置付けが非常に強くなってしまっており、事実上争議支援のための地域を中心とした共闘を組織するものになっている心配、要素がある。 2)その結果 一つ目は、争議団・党内に深刻な意見の対立、不団結が生まれている。 二つ目には、神奈川労連をはじめとする労働組合との不団結。 三つ目に、差別争議を闘っている大企業の職場における職場労働者の要求実現、そしてそれと結びつけた運動が弱まり、職場労働者の支援や共同が広がるのではなくて、それが弱まるような状況が生まれている。 本当に党支部として差別争議を闘いながら、党としての活動を党建設、党しかできないわけで、それに収斂して行くような、そう言う点で今の状況は心配である。 従って、連合職場連絡会は今日の政治と職場情勢のもとで全労連が発足して10年経った。そう言う時期でもあり学習・交流としての一定の役割は果たしてきた訳で、今みたいなやり方をすると争議団活動の中核になると言う位置付けと方針になる訳だから、もっと発展的に捕らえて、神奈川労連との連携、それから党内の学習交流と言うような方向にして行く必要がある。 |
(5)弾圧の口実に過ぎない県委員会の「問題点」
日本共産党が、千代田化工争議、東電争議の高い水準での解決、反合権利闘争を軸とした神奈川総行動の発展、地労委民主化闘争の前進、大企業職場連絡会の大衆的発展を神奈川労連や日本共産党に代わる指導部隊の形成、運動と見誤り、被害妄想に陥ってこれらの運動と組織を弾圧、破壊することを2000/11に方針化し決定し、その一環としてこの連合職場連絡会への介入攻撃が、行われた。
上記の「」内にあげた神奈川県委員会の指摘は、千代田化工や日立で訴願などを出させる指導を行い、内部に不団結を起こさせておいて、それをきっかけに争議団や連合職場連絡会の取り組みが間違っているとまとはずれな攻撃をしかけたものです。彼らの言う「イ)門前宣伝、門前ビラを取り組んでいる。ロ)神奈川争議団共闘の行動に積極的に参加し、争議解決のため奮闘すると共に、解決した争議団が連合職場連絡会の中核になっていく」と言うことは、連合職場連絡会発足当初からの会則に明記されているもので、自主的組織と会則で明記して発足したものです。構成員は連合の属する職場の労働者であり、日本共産党や神奈川労連は構成員ではありません。自主的な組織に対して日本共産党がその運動と組織を批判して介入することは誤りです。会則は1999年1月30日に改定されましたが、神奈川労連との連帯・共同を規約に入れるなど関係強化が図られています。これは連合職場の自主的な運動に危惧を持った神奈川労連や日本共産党の一部幹部がその指導に従わせるために会則を改定させたのです。
しかし、会則の基本は変わっておらず、実践でなんら問題はありません。大企業の横暴を規制する神奈川連絡会について「ハ)連合職場連絡会が中心になり、そして争議団共闘が加わって、そして、日立の支援共闘が加わって、大企業の横暴を規制する神奈川連絡会と言う運動体を作って行く」と書かれていますが、あたかも連合職場連絡会が中心になって方針化しているかのような書き方をしていますが、そうではありません。日立神奈川争議団が争議解決をめざして日立闘争神奈川支援共闘会議とともに大企業の横暴を規制する神奈川連絡会結成を提唱し、神奈川争議団共闘会議、連合職場連絡会が賛同し結成されたものです。この連絡会は当時の運動の経過もあって創造的取り組みの段階のものでした。連合職場連絡会の会則の2項1に「この会の目的は、「連合」職場で要求実現闘争をたたかっている仲間が自主的に交流し、県下の闘う労働組合と協力し合って、職場における活動の強化と相互の連帯を強めることを目的とします。」と明記されているのです。どういう運動をやるかは構成員である「神奈川の『連合』職場や大企業職場などで、職場の要求実現闘争を前進させるために闘っている団体、職場の有志」が決めることです。
構成員でもない日本共産党が陰で連合職場連絡会の活動にあれこれ言い、県委員会に何回も関係者を呼び出して「問題点」を指摘するなどの行為は、政党の大衆運動・組織に対する介入そのものです。
日本共産党の方針や指導に従わないことを危惧して神奈川労連や日本共産党の一部幹部の被害妄想的発想がそうさせたのだろう。露骨な批判・介入が2000年11月8日の県委員会総会から開始された。連絡先を事務局長の所属するJMIU神奈川地本から電力連絡会事務所に変更した事が「第2センター化」の理由としたのかも知れない。
しかし、連合職場連絡会に結集するどの職場や元争議団も神奈川労連に代わった運動を取り組んだり、組織を作ろうなどとは全く考えていなかった。日本共産党は、自主的な組織と運動が発展する事を恐れ、「春闘の集会でデモヘの隊列編成をする」「神奈川争議団共闘の行動に積極的に参加し、争議解決のため奮闘すると共に、解決した争議団が連合職場連絡会の中核になっていく」ことをやめさせようとしたのです。しかし、会則に「一致する要求に基づく統一行動」、「差別・解雇などたたかう職場の仲間との連帯の強化」が明記されており、神奈川争議団共闘の行動に積極的に参加し、争議解決のため奮闘すると共に、解決した争議団が連合職場連絡会の中核になっていくことはなんら問題はありません。「門前宣伝、門前ビラを取り組んでいる。連合職場連絡会が中心になって、そして争議団共闘が加わって、そして、日立の支援共闘が加わって、大企業の横暴を規制する神奈川連絡会と言う運動体を作って行く。春闘の集会でデモヘの隊列編成をする。」と連合職場の方針を否定し、その結果「一つ目は、争議団・党内に深刻な意見の対立、不団結が生まれている。二つ目には、神奈川労連をはじめとする労働組合との不団結。三つ目に、差別争議を闘っている大企業の職場における職場労働者の要求実現、そしてそれと結びつけた運動が弱まり、職場労働者の支援や共同が広がるのではなくて、それが弱まるような状況が生まれている。」などと連合職場連絡会の活動とは正反対の口実をあげ、不団結が起きているかのようなこじつけを行っています。 大企業職場での自主的な運動への神奈川労連の誤ったセクト的な方針による連合職場連絡会との意見の相違を「第二センター化」に通じる行為と見なしたり、職場要求実現の闘いで連合職場に参加している労働者が先頭にたって実践していることを無視したデマを口実に「第二センター化」などと言い出し、日本共産党は連合職場連絡会破壊のキャンペーンを行い、その組織と運動を潰しにかかりました。その結果連合職場連絡会のその後の活動が停止状態に陥ってしまったのです。
県委員会が乱暴に介入した口実に「党としての活動、党建設は党しかできないわけで、それに収斂して行くような状況にない」と言っています。党建設は党しか出来ないことは当然の事です。
しかし、「争議の事しかやらない」「職場要求実現の取り組みをやらない」という主張は、東芝争議団内で不団結行為から除名された争議団員の言っていることであり、その言い分を意図的に取り上げて県委員会の主張の根拠にしたもので、いわれない口実です。多くの争議団員は争議解決のための行動と職場要求実現のための行動、そして党勢拡大、選挙闘争に職場の先頭になって奮闘してきたのです。神奈川県委員会は争議解決、職場要求実現、党勢拡大、選挙闘争などを自ら進んで行う争議団や連合職場連絡会に謂われのない攻撃を行ったのです。
2000年以前から大企業に限らず全体に職場での党建設が進んでいなかったのです。連合職場連絡会に結集する党組織や党員が党建設を行わなかったのではなく、全県的、全国的な傾向だったのです。それはその後の各種選挙での相次ぐ敗北でも明らかです。
日本共産党は連合職場連絡会に破壊攻撃を行いましたが、その後、これに代わる運動や組織は作られていません。また大企業・連合職場での党建設も前進していません。大企業職場での労使協調に反対し、階級的労働運動をめざす自主的グループによる自主的主体的運動はこの介入攻撃により破壊されてしまいました。
それは、日本の労働運動の階級的民主的強化を後退させる結果をもたらしています。
1970年代からの神奈川の反「合」権利闘争は、神奈川県下争議団共闘会議の再結成、横浜、川崎、県央、湘南地域での地域争議団共闘会議の結成、差別是正、閉鎖反対などの問題別共闘会議の結成などが相次ぎました。1977年9月には神奈川争議団共闘会議が結成されました。
司法反動化阻止の取り組みでは、1971年11月29日、「権利の侵害と司法の反動化に反対する神奈川県集会」が横浜市民ホールで1000名の参加で開催され全県での司法反動化阻止の取り組みの機運が盛り上がってきました。
1977年(昭和52年)11月には、司法反動化阻止のために「司法反動下における労働裁判をいかに勝ち抜くか」学習討論会が神奈川県下争議団共闘会議、神奈川総評弁護団、自由法曹団神奈川支部の3者の共催で開催され、それを契機に労働者と弁護士が一緒になって個別の裁判の検討・総括と裁判所の反動化を阻止するための討論集会が毎年開催されるようになり、この後、集会の主催団体は上記3者に、職場に自由と民主主義を確立する神奈川県連絡会、神奈川賃金等差別撤廃共闘会議の2団体が加わり、5団体での共催による討論集会が開催され略称も五者連と呼ばれて司法反動化阻止の画期的運動を行ってきました。
司法反動化阻止討論集会経過
第一回 1977年11月23日 勤労会館 64名
第二回 1978年11月23日 横浜市従会館 81名
神奈川賃金等差別撤廃共闘会議が主催団体に加わる。
第三回 1979年11月23日 川崎産文会館 119名
第四回 1980年11月23日 開港記念会館 113名
第五回 1981年11月23日 横浜市従会館 78名
第六回 1982年11月23日 川崎労働会館 90名
第七回 1983年11月23日 開港記念会館 77名
第八回 1984年11月23日 川崎労働会館 91名
第九回 1985年11月23日 横浜市従会館 73名
第十回 1986年11月23日 川崎産文会館 98名
第十一回 1987年11月23日
第十二回 1988年11月23日
第十三回 1989年11月23日
第十四回 1990年11月23日
第十五回 1991年11月23日
第十六回 1992年11月23日 横浜市教育会館
第十七回 1993年11月23日
第十八回 1994年11月23日
第十九回 1996年11月23日 横浜市教育会館
第二十回 1997年11月23日 かながわ労働プラザ
第二一回 1998年11月23日 フォーラム横浜
第二二回 1999年11月23日 労働プラザ 63名
第二三回 2000年11月23日 神商連会館4F
第二四回 2001年11月23日
第二五回 2002年11月23日
主催団体 神奈川県労働組合総連合、神奈川争議団共闘会議、神奈川労働弁護団、自由法曹団神奈川支部、神奈川地労委民主化対策連絡会議
2003年7月4日自由法曹団神奈川支部が「五者連」から脱退。
2003年9月9日神奈川労連が「五者連」から脱退。
2003年10月2日神奈川労働弁護団が幹事会で「五者連」から脱退。
第二六回 2003年11月23日
主催団体 神奈川争議団共闘会議、神奈川地労委民主化対策連絡会議、連合職場連絡会
第二七回 2004年11月23日 鶴見会館
第二八回 2005年11月23日 開港記念会館 41名
以後開催中止
2003年 司法反動化阻止連絡会議にも日本共産党の指導のもとに公然と分裂が仕掛けられました。まず、日本共産党の指揮下にある自由法曹団神奈川支部が、2003年7月4日付けで脱退通告を行い組織破壊・分裂の先頭を切り、続いて結成にもっとも積極的で運動の先頭に立った神奈川総評弁護団(脱退時神奈川労働弁護団)が2003年9月9日に、10月2日には神奈川労連も脱退通告を行い、1977年から2002年まで、途中、坂本弁護士拉致事件や武松商事解雇事件を巡っての右翼による弁護士への個人攻撃などがあり、紆余曲折もありましたが、25回継続されてきた神奈川の反「合」権利闘争の裁判・地労委など司法機関の反動化阻止の運動体も神奈川争議団共闘会議と地労委民主化対策連絡会議、連合職場連絡会議の3団体になってしまいました。しかし、こうした、分裂・組織破壊攻撃に屈せず、司法反動化阻止五者団体連絡会議は2003年、2004年、2005年と討論集会を開催し続け、司法反動化阻止・地労委民主化・個別事件での勝訴をめざしたたたかいを続けましたが、残念ながら2006年からは開催を中止せざるを得ず、長い司法反動化阻止の流れは止まりました。