訴外者問題について
99年2月に始まった1都3県の中央支援連結成にむけた協議のなかで、「今が争議解決の絶好のチャンス」という情勢認識と共に、提訴外者の問題についても1都2県と神奈川の間では大きな意見の違いがありました。
しかし、この意見の違いが1都2県と神奈川の分裂の原因になったわけではありませんでしたが、日立争議解決後の論議のなかで、あたかも「神奈川は提訴外者の差別をとりあげなかった」などと歪曲したり、分裂の責任が神奈川にあるかのような揶揄も見られるので、ここにその実態を明らかにします。
同時に、この機会を活かして、いわゆる提訴外者問題について考えてみたいと思います。
(1)その違いとは
1都2県の「日立争議総括集」(01年12月発行、以下、1都2県総括集という)では、その違いを「1都2県の『関連会社争議団と提訴外者の要求についても責任を持つ』にたいし、神奈川は『関連会社、提訴外者に責任はとれない』」と記述していますが、後述するように、そのような単純な問題ではありませんでした。
ましてや神奈川の日立争議団を金銭欲から脱退していった宮崎氏の言うような「1都2県の争議団が提訴外者も含めて解決したことに対して、神奈川の支援共闘は、提訴外者には差別是正を要求する権利がないと決めつけ、争議団で民主的に論議することもなく『神奈川のやりかただ』『要求はするが責任は取らない』という特殊な方針を争議団におしつけ」(03年2月宮崎総括集)たものでもありませんでした。
神奈川労連も、1都2県や宮崎氏の言い分を基に、00年10月に「日立争議についての神奈川労連の『見解と態度』」を出すなかで、神奈川の支援共闘が「責任を持たない」と主張していることに対して、「訴外者の要求も取上げ闘うことが当然と考える。それは差別是正の闘いは裁判に訴えた人の権利救済はもちろんだが職場の一切の差別をなくす闘いのためにも役割を発揮すべきであり」と述べて日立闘争神奈川支援共闘会議を批判しています。
しかし、実際は次のようなものでした。
① 提訴外者へどう働きかけるかという基本的な姿勢の違い
1都2県が「今が争議解決の絶好のチャンス」という見方から、98年2月に、東京提訴団が中労委和解交渉で提訴外者のバックペイを解決要求に加えていたこともあって、「解決できるのだから、とにかく名前を出せばよい」式の考えでありました。しかし、神奈川は「チャンス」論の甘い見方でなく、闘いの輪を広げて情勢を切り開く立場から、「2次提訴に加わって、共に闘い解決を勝ちとろう」という立場でした。
神奈川が、特に強調したのは、「差別をなくす闘いは、差別のない職場に変える闘いであること」「職場における労働運動、自由と民主主義を前進させる闘い」という点でした。この闘いに共に立ち上がってこそ、争議解決を早めることができるし、また争議解決後の労働運動、職場闘争にも積極的に加わることができるようになるという点でした。
② 提訴外者のバックペイ要求をめぐる意見の違い
1都2県は「とにかく要求は出してみる」という立場から要求の妥当性を唆昧にしました。これに対し、神奈川は要求の実現に責任を持つ立場から会社も認めざるを得ない内容にすると共に、解決後に内部の不団結を生まないようなものにしようという立場でした。
つまり、1都2県が提訴者も提訴外者も一律に80年以降の賃金差別に対するバックペイを要求したのに対し、神奈川は提訴者は提訴日より2年または3年前からのバックペイを要求すべきだとしました。これは地労委命令、裁判所判決を基にしたもので会社としては反論の余地がないからです。もちろん、提訴外者は提訴していない以上バックペイ要求は困難であり控えるべきと主張しました。バックペイ要求は他の争議の例から見ても無理があり、交渉が空転すると考えたからでした。
このことはその後1都2県もその総括集で「中央支援連として日立争議の全面勝利解決を求めた共同要求の事前討議ができず、各支援組織との間でそごを来した。とりわけ提訴外者の要求は、ほとんどの支援組織の代表者が初めて耳にすることであり、委任状の取り扱いについては紛糾した」(85頁)と述べているように、バックペイ要求における機械的平等論は1都2県の間でも問題になったようでした。
他方、神奈川がバックペイなど解決金の要求つくりにあたって重視したのは「争議の目的は何か」という論議でした。「金ほしさに」解決金の配分で不団結が生まれないようにするためにも、「職場を変える」立場、今後の職場闘争を共に闘うという立場でバックペイ問題を克服するように求めました。
つまり会社は解決金の回答においてその内訳を示すことはしない事が他の争議解決交渉での例から予想されるので、一律の要求をすれば提訴外者の一部から解決金の一律配分を求める者が出た場合、そのことによって不団結が生まれる可能性を心配したからです。
③ 提訴外者の要求に対する責任について
1都2県は「とにかくやってみるだけ」という曖昧さから、とれなかったら仕方がないという立場でしたが、神奈川は提訴者・争議団の支援共闘である以上争議団にも加入していない者の要求には「責任が持てない」という立場でした。つまり、神奈川は「交渉の結果、仮に提訴者が『やむなし』と判断した場合は、提訴外者が『納得できず解決できない』と言ったとしても、提訴者の支援共闘である以上闘争を続けられない」と言うと、1都2県側は「無責任だ」と批判しました。しかし、1都2県の「やってみるだけ」論というのは結果には責任を負わないというものでした。最初から態度を明確にしている神奈川と曖昧にしている1都2県とどちらが「責任ある姿勢か」は明白です。
④ 実際に、1都2県は32名の提訴外者を含む81名の共同要求として「74億円を超え」る解決金を要求しましたが(1都2県総括集84頁)、獲得した金額はその1割にも満たない6億3000万円でした(同90頁)。また、賃金是正額においては提訴外者は本訴者の50%(但し技能系は65%)に抑えられ、資格是正では53%(17人)は見送られる結果となりました。この結果が示すように1都2県の「責任を持つ」という内容が如何にいい加減なものか明らかです。
この結果に対し1都2県は「もしこれらの闘いが神奈川を含む統一した力で、最後まで推し進めることができたならば、日立争議のより早い解決、またより高い水準での解決が勝ち取れたことであろう」と責任を転嫁していますが、神奈川を排除して解決に走った1都2県の責任こそ問われるべきです。それにしても1都2県の解決要求と結果との隔たりは大きすぎるものがあります。
(2)提訴外者の問題を他の大企業争議ではどうしていたのか
大企業職場における組合活動や共産党の活動を理由とした賃金昇格差別との闘いは、特に大企業が集中している神奈川では、日立争議の解決前にも、東電など数多くありました。
以下に神奈川の大企業争議の内容を、特に「提訴外者問題」に絞って紹介しますが、その特長と教訓は、①あくまで提訴して争議団に加わって全体の力で差別是正を闘いとるという構えを原則的に追求したこと、②闘いの目的を職場の自由と民主主義に求め、初心を忘れた機械的平等論の「金目当て」の闘いを戒めて取り組んだこと、③その結果、争議解決後の職場の団結や活動の広がりと前進につながっているということです。
この点から見ると、日立争議における2次提訴追求の弱さや提訴外者への「機械的平等論」的要求などは、神奈川の大企業職場争議の教訓から大きく逸脱したものとなっており、そのことが結果的に職場に不団結をうむ背景になったと思います。
① 日本鋼管人権裁判では
(イ)提訴時は
1973年4月、共産党員及び民青同盟員に対する思想信条による差別撤廃裁判として、全国に先駆けて提訴されました。原告は、いわゆるチャンピオン方式で、各職場、工場を網羅する形で選ばれ34名で組織されました。
特徴的なのは、筆頭原告に「日本共産党京浜製鉄委員会」がなったことです。
(ロ)2次提訴について
職場では、原告外の者を含めた活動家による苦情処理の申立や100名による京浜製鉄所長への申し入れなどの取り組みを行っていましたが、最終局面で解決を迫るために115名(人権裁判原告29名を含む)による地労委提訴団を新たに組織し、いつでも申立ができる準備を行い、産業文化会館で「第2次地労委申立団結団式」を成功させていきました。
この動きに対して会社から申し入れがあって解決交渉がはじまり、88年3月、第2次地労委申立に踏み切る前に解決に至りました。
(ハ)提訴外者について
人権裁判原告以外の86名の地労委申立予定者に加え数名の提訴外者について、自主交渉によってその賃金及び資格差別を一定の水準で同様に是正させ、解決金は1人ひとりのバックペイを明確にして要求するのでなく、全体として一括して支払わせる内容となりました。
(ニ) 解決後の職場闘争への影響など
党組織として争議を闘ったこともあって、また「見せしめ差別」を否定させる解決をかちとったことに意義を見いだし、解決金を個人に配分することはしませんでしたが、それによる不団結は起こりませんでした。
そして「その成果は、職場労働者の要求実現と職場に自由と民主主義を確立するうえで、橋頭堡を築いた」ものでした。
② 小田急では
(イ)提訴時は
いわゆるチャンピオン方式で、5名が代表して73年12月に東京地裁に提訴しました。
5名を選んだ理由は「小田急では7級職以上へ昇進するには筆記試験による昇進試験に合格することが必要であるとの建前が取られており、不公平な昇進試験をボイコットしていた活動家もいたため、昇進試験制度という複雑な問題点を避けて差別が一目瞭然で判りやすく勝ちやすい9級職と10級職の活動家を原告にして提訴」しました(小田急争議総括集96頁)。
「チャンピオン方式ですから、他の活動家についてもこの裁判闘争の中で全面的に差別を是正させるという位置づけでの提訴でした。」(同)
(ロ)2次提訴について
「小田急争議団は、チャンピオン方式の訴訟ではよくありがちな、正式に原告になっている活動家は一生懸命頑張るが、原告になっていない形式上は『支援する側』になっている活動家の結集がいまいちになりがちな弱点を見事に克服して闘争に争議団全員が取り組みました。」 (同)
そして、「全面解決を迫ろうということで、」是正されたい者は全員提訴する、提訴外者は救済されないことを確認し、「1987年2月16日に4人の原告で第2次提訴を行い、91年1月16日に原告2人を追加する第3次提訴を行って救済を求める争議団の範囲を最終的に確定し、この争議団11名全員について全面勝利解決を実現しました。」 (同)
(ハ)解決後の職場闘争への影響など
上からの活動家排除指令が弱くなり、職場で活動家排除がなくなった。その結果、職場におけるニュース配布の自由を確立し、中心的な活動家が定年退職後も、職場の活動家は労組役選で得票率を倍増させています。
③ 東電では
(イ)提訴時は
基本的に全員が提訴する方針で行いましたが、任務分担で支援する会として闘う部隊と本人の意向から提訴しない人を残しながら、76年10月、1都6県142名がそれぞれの地裁に提訴しました。
(ロ)2次提訴について
闘いの前進のなかで、「運動の構築と前進をはかる」「支援する会員を含めた解決こそが真の争議解決」「争議解決に責任を持つ」との観点から、全ての活動家に2次提訴に加わるよう説得を行いました。その結果、91年12月に神奈川では11名、全体では29名が2次提訴しましたが、若干名は踏み切れませんでした。
(ハ)提訴外者について
解決要求書のなかで、賃金資格是正、退職金・年金。社会保険等の是正及び慰謝料の支払いの項目について、「原告等以外においても同様の差別が行われている者について」も原告と同様の要求を行いました。
その結果、「提訴外者」についても会社に資格処遇及び賃金是正を実現させました。
(ニ)解決後の職場闘争への影響など
原告と全ての共産党員及びその支持者の差別是正が行われたことによって、反共労務政策の転換がはかられ、職場における「垣根」がなくなったこと、原告165人が1次2次の区別なく全員、賃金実体でもある年功序列型賃金を基本に是正をさせたことにより原告内の不団結が生じませんでした。
そして争議解決が、職場で原告の信頼を高めることにつながり、春闘アンケートなどにおいても多くの協力を、今も寄せられています。
④ 日本鋼管鶴造(鶴見造船所)では
(イ)提訴時は
日本鋼管鶴見造船所の活動家有志14名は、78年10月、神奈川地労委に賃金昇格差別是正を申し立てました。この提訴にあたっては可能な限り多くの仲間が参加するように努力しました。
(ロ)2次提訴について
提訴時に加わらなかった活動家も、相次ぐ会社の人減らし「合理化」に対し、「希望の会」に加わりながら共に闘いを進めていきました。そして、新たに9名の活動家が地労委に提訴する準備を始めて、87年12月に第2次提訴団を結成し、会社に全面解決を迫りました。
(ハ)提訴外者について
こうした動きのなかで、会社との自主交渉がはじまり、第2次提訴予定者9名は提訴外者として、申立者と共に是正の時期に若干の遅れがあったものの準じた内容で、賃金及び資格の是正をかちとり、解決金を一括して支払わせる全面解決を、88年5月に果たすことができました。
(ニ)解決後の職場闘争への影響など
差別是正をかちとった争議解決は職場労働者をも励まし、その後の賃金体系改悪反対闘争などを旺盛に展開するなかで、「希望の会員」拡大につながっていきました。
そして、93年8月には「中高年賃金差別争議」を20名で提訴し、01年7月に提訴外者1名の資格是正もかちとりながら全面解決を果たし、ますます「希望の会」 への信頼を高めています。
⑤ 雪印では
(イ)提訴時は
裁判にするかそれとも地労委か、労基署か。各都県で別々にやるか一括提訴か。全員まとまってやるかそれともチャンピオン方式でやるか。提訴にあたっては経験豊かな労働弁護士らとも繰り返し相談もしながら準備をしました。
そして、80年7月、先ずチャンピオン方式で厚木、東京、研究所から1人づつ3人が東京都労委へ一括提訴しました。
(ロ)2次提訴について
最初から3人に続いて追加提訴をしていく方針で準備を進めました。個々人の条件や力量、家族や親族の関係なども話し合いました。そして第2次(81年1月、15人)、第3次(83年11月に5名)提訴は、都労委や職場の情勢を見ながら提訴時期を判断して、闘いを拡大していく立場で方針をつくり進めました。一方で、重要な役割であまり表面に出ずがんばった仲間もいましたが、最終的には4名も第4次提訴で合流しました。
(ハ)提訴外者について
90年9月に第2次和解交渉に人った段階で、決裂も辞さない構えと運動を続けるなかで 「この交渉で必ず解決する」方針で、提訴を控えていた人を含め差別を感じていた仲間全員に第4次提訴を呼びかけました。そして91年8月に4人が第4次提訴。
従って、提訴外者はいませんでした。しかし争議解決後判ったことですが、提訴者以外でも賃金や昇格が抑えられていた多くの人が次々昇格しました。
(ニ)解決後の職場闘争への影響など
争議最終盤には管理職が「彼らのようにきちんとものが言えるようにならんといかん」と言うなど、職場内に支持や共感が広がってきました。また、団員の職場異動を撤回させ職場親睦会からの排除の撤廃をさせたり、解決後は婦人パートの有志からご苦労散会に誘われたりしました。労働運動の面では、職場新聞の発行など続けましたが、職場の増員要求が実現したり、組合の職場会議が行われていなかったところが毎月実施されるようになったり、自由にものが言える雰囲気が広がりました。
⑥ 山武では
(イ)提訴時は
86年11月に申し立てた山武ハネウエル提訴団は、不当に差別されていると感じている人は可能な限り多く提訴しようという方針で臨み、結果的には48名という大型の争議団となりました。しかし、戦略的な視点から申し立てなかった人もいましたが、争議活動には参加していました。
(ロ)2次提訴について
常に追加提訴を模索をしていましたが、争議団に対する会社の攻撃や大変な行動を見ている職場の仲間は、「かんべんして」というのが実態でした。
そうしたなか、職自連会員の1人が不当配転させられるなかで第2次の申立て人となりましたが、それ以降は追加提訴はありませんでした。地労委より職権和解が出せれた最終盤で、職自連会員や職場の有志に改めて追加提訴を訴えたが、やはり「今さらいいよ、かんべんして」という状況でした。
(ハ)提訴外者について
地労委和解の中で、提訴していない職自連会員についても差別を是正することを要求しました。地労委は名前と実態の資料の提出を求めてきたので、職白連会員と職場有志に名前を出し、是正を要求することを訴えました。その結果「争議の解決に役に立つなら」として26名が了解し、地労委に名簿および職能等級等の資料を提出しました。
しかし、会社の回答は、「訴外者は検討外」でありました。
他方この段階で、職自連会員に係長がいないことが会社回答を前進させる上で障害になってはいけないとの判断から、会員の1人が「係長にせよ」との苦情処理を行いました。結果的に、次の年度に係長に昇格させることができ、相乗効果を引き出しました。
山武は争議解決後にソフトランディングとして、2年間にわたって解決内容を順次履行する協定になりました。会社と争議団との間に窓口を設けられ、この中で是正されなかった職白連会員についても議題にあげ、是正させたり、査定をあげさせたりしてきました。
また、職場での親睦も、差別の無い様に改善させています。
また、この窓口では、経営に対する要求や、職場要求についても話し合い、解決しています。
(ニ)解決後の職場闘争への影響など
93年11月の争議解決後は、争議団、職白連に対する職場の評価は高くなり、表立っての職場八分は大きく改善されました。職制が職白連会員の話しをまともに聞き一定程度の問題解決ができるようにもなりました。
しかし、会社も労使協調の労組を守るというととろでは、力を出し、職制を中心としたインフォーマルグループ(LD会という)を使ってきめ細かい対策を行っています。
⑦ 千代田化工では
(イ)提訴時は
88年5月に越智さんが解雇された後、自らの差別是正と越智解雇撤回を求めて、可能な限り多くの仲間が提訴に踏み切るべく何回となく議論を重ねましたが、89年12月に越智さんを含む5名で神奈川地労委に賃金昇格差別是正の申立を行いました。
しかし、職場では 「最後にはみんなでゴール」を目標にして、提訴外者も争議支援に参加するよう求めました。
(ロ)2次提訴について
2次提訴については当初から幾度となく議論されましたが、特に93年9月、趨智さんの職場復帰の緊急命令が出されるなかで、争議の全面解決をはかるために、「争議を早く解決させるために共に闘う」ようにとつっこんで議論しました。この論議のなかで「バックペイをとるためにも2次提訴を」と訴えましたが、この当時はまだ解決の光が見えない時期でしたので、争議団活動の困難さから2次提訴に加わる人がありませんでした。
その後も機会を見て2次提訴を求めましたが、殆ど議論にならない状況が最後まで続きました。
(ハ)提訴外者について
98年3月、争議解決にむけた自主交渉が始まり、いよいよ 「みんなでゴール」をめざす最終局面のなかで、提訴外者に名乗りを上げることを求めました。論議の結果、94年頃2次提訴に加わらないと決意して以来、「争争議団は間違っている」と内外に公言していた1人を除いて4名が提訴外者に加わることになりました。
ところが、98年10月、いざ会社に名前を出そうとしていた直前、「バックペイを要求しないなら降りる」と言って1人を残して3名が降りてしまいました。その結果、98年12月の争議解決のときは、たった1人の提訴外者でしたが、同期平均との差別(資格及び賃金)を100%是正させて解決することになりました。
ところが、提訴外者に加わらなかった4人が、98年12月、争議解決直後から、争議団にも職場組織にも何ら知らせることなく会社と秘密交渉を始めてしまいました。その交渉では、争議解決協定書の誓約文や解決水準を活用して、100%差別是正と2年分相当のバックペイを支払わせたといいます。
(ニ)解決後の職場闘争への影響など
しかし、秘密交渉をめぐる総括が正しく行われなかったために、職場組織内に不団結が生まれ、その後の職場闘争に大きな困難が生まれました。5名の元争議団はその困難を克服して、99年11月に、幹部職組合、JMIU千代田化工支部を結成し、その後は組合員を7名に拡大しながら職場闘争に取り組んでいます。
「バックペイ欲しさ」に秘密交渉に走った4名は、その後1人は退職し、職場における労働運動に殆どその姿を見せていません。
(3) なぜ2次提訴の追求が弱まり、機械的平等諭がはびこるようになっているのか
大企業職場の争議を見た場合、おそらく日立争議の1都2県が初めて機械的平等論の立場から原告も提訴外者も同じように約1億円の解決金を要求したように思えます。
そして、この原則を踏み外した1都2県の姿勢が擁護され、これに反対した神奈川が「提訴外者の差別をとりあげなかった」かのように誹謗中傷されています。一体どうしてかつては考えられなかった事態が起こったのでしょうか。
一つは、先駆的に闘った先輩の苦労の上にあぐらをかくような傾向が出ていると思います。つまり、憲法や労働法では許されない差別は是正されるのが当然で、提訴しているかどうかに関わりないことだという考えです。これはあまりにも現実を直視しない書生気質的な発想です。憲法でさえ基本的人権は「不断の努力によって維持向上されなければならない」と言っているのです。
ましてや階級闘争の最前線で闘う者が「差別は違法だから是正されて当然」と自らが闘わなくて分け前だけを要求するという姿勢をとっていたら、権利闘争に前進はありません。
大企業の職場でも「差別是正は当たり前」と言える今のような状況を誰がつくってきたというのでしょうか。先輩の苦労を想い、更に高い水準での差別是正をめざす構えがあるならば、とてもこのような考えは生まれてはきません。
もちろん労働者に同じような闘いを求める機械的な平等論に立っているものではありません。同じ志を持つのであれば、情報や証拠などを集めたり、ビラ1枚でも多く配ったり、裁判所などへ1日でも多く傍聴したり、カンパを1円でも多く集めたり、できる限りの努力をすることが大事ではないでしょうか。
そういうお互いの努力が認め合える状況のなかにこそ団結が生まれます。
努力をしないで権利だけ要求していては団結は生まれず、その権利を主張するばかりに別行動をとれば不団結が生まれるのは目に見えています。
もう1つは、政党や全労連及び神奈川労連などの一部幹部に、2次提訴追求が弱まり機械的平等論という傾向を「間違っている」と指摘しないばかりかそれを擁護する誤った動きが出ているという点です。
近年、上部組織の幹部層にはかつての大企業争議を共に関ってきた人が少なくなっています。その結果、争議を知らない者が機械的平等論に陥り、自らの覇権を維持するためにその問違った考えを下部に押しつける誤りを犯しているのです。
その結果、間違った傾向が正しいものとなり、それを批判した神奈川の闘う労働者が悪者となってしまったのです。
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