日立神奈川争議の紹介

日立神奈川争議総括(第一次:2003年12月)

  闘いによって勝ち取ったもの

  先行解決した一都二県と神奈川の特徴

  闘いの中で起きた様々な問題と不当介入 

  なぜ一括解決できなかったのか 

  訴外者問題について

  「支援共闘」について

日立神奈川争議総括(第二次:2011年12月)

 ○困難を乗り越えてつかんだ歴史的勝利

 ○男女差別事件をめぐって

 ○中村裁判の背景と動機、経過

 ○政党と大衆運動について

 ○中村裁判判決後の経過と総括

 ○さらなる闘いに向けての展望と決意

 闘争記録
(日立神奈川争議解決以降2002年7月以降)

支援組織解散声明(2014.7.22)

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7.29全面解決日に中央労働委員会前にて

 日立神奈川争議は2002年7月29日多くの方々の大きなご支援の元に日立製作所との和解交渉が自主交渉(会社側と原告側の当事者同士の交渉)を経て中央労働委員会にて成立し解決しました。 

 自由と民主主義を守るために、原告団が立ち上がり、その青春と人生を賭けた闘いは、日立資本を相手にした苦しいものであり、資本からの分断攻撃にさらされる中で、私たちが信頼をしてきた全労連や神奈川労連からの解決妨害、日本共産党からの不当な介入がなされるなど困難を極めましたが、多くの支援を広げながら勝利をすることが出来ました。
 しかしその後、原告中村が解決金配分をめぐって団長であった佐藤を提訴。団内においては、佐藤団長(当時)による解決金の横領や非民主的な団運営が行われ、中村の要求を認めた不当判決を、全員の合意がないままに佐藤の判断で確定させ、団全員の解決金であったにもかかわらず佐藤が中村に支払ってしまいました。
 日立資本の横暴に始まったこの争議は、原告宮崎と中村の脱落、佐藤団長の身勝手な団運営と広がり、支援していただいた方々に心配をかけました。
 ここに今までの経過と事実を明らかにし、日立争議の総括として公表するものです。
 日立資本との闘いについては、03年の総括集で明らかにしていますので、今回は不十分であった点のみを補足的に総括し、前回の総括集では発表を控えた女性争議との関連や弁護団との問題についても触れることとしました。
 また、日本共産党が大衆運動に介入し、神奈川の反合権利闘争の運動と組織を破壊しようとしたことが、闘いの事実から明らかになっていますので、今後の反合権利闘争の発展のためにも総括しておきます。
                                                                              
                             日立闘争神奈川支援共闘会議 
                日 立 神 奈 川 争 議 団