日立神奈川争議団
1. 日立横浜工場佐藤明サービス残業労基署申告報復事件(日立横浜工場)
 1990年8月30日 神奈川地労委提訴
 1995年6月27日 神奈川地労委勝訴 中労委係属
 デジタルメディア事業部 (旧横浜工場) の佐藤明氏が、職場に蔓延していたサービス残業を横浜西労働基準監督署に申告し、未払い残業代を支払わせました。この事を会社は逆恨みし、報復として、作業衣のボタンの外れなど些細な事まで始末書の提出を強要し、拒否すると2年近く、職場ですべての仕事をとりあげみせしめ差別を行いました。1990年8月、神奈川地方労働委員会に不当労働行為、人権侵害の申し立てを行う。1995年6月27日に救済命令を勝ち取る。しかし、会社はこの救済命令に従わず、中労委で係争。
 「サービス残業は法違反」 の闘いが全国的に広がる中で、日立佐藤サービス残業申告報復事件は社内でのサービス残業隠しにストップをかけ、労働者に残業を申告することを励まし、サービス残業根絶に大きな役割を果たしました。
2.日立男女差別事件 (神奈川)
 1992年3月3日 東京地裁提訴
 2000年9月 東京原告5名和解により取り下げる。
         神奈川の原告4名は東京地裁で係属
1992年3月、神奈川県内3事業所4名、東京の2事業所5名の、9名が「男女差別は許せない」として東京地裁に差別是正を求めて訴えました。日立は女性というだけで男性に比べ、年間310万円」も差別をし、仕事もほとんどの人が補助的な業務で教育も、うけさせないなどの差別を続けてきました。2000年9月、1都2県の日立争議の解決で、東京の5名が裁判を取りさげましたが、旧横浜、旧戸塚、旧小田原工場の4名が差別是正を求めて裁判を続けました。
日立神奈川争議の解決で執務職の原告は総合職に、技能職の原告は裁判での請求通り、指導技能員に昇格し、今後の男女差別をなくす運動にはずみをつける大きな成果を得ることができた。
3.日立神奈川賃金・昇格差別事件
 1992年10月19日 神奈川地労委提訴(神奈川県内3事業所5名)
 2000年 5月16日 神奈川地労委勝訴 中労委係属
             中労委和解の最中に宮崎が争議団を脱退
 2000年 4月25日 神奈川地労委提訴(第二次提訴:1名)
1992年10月、「組合活動を理由にした賃金・昇格差別は不当労働行為である」として旧横浜工場、旧神奈川工場の男性5名が神奈川県地方労働委員会に差別是正を求めて申し立て、2000年5月に会社の謝罪も含めた画期的な「全面勝利命令」を勝ち取る。また、2000年4月から旧横浜工場の女性1名が追加申し立てを行行った。会社は「差別はしていない」と言い張り、中労委、地労委で係争。

 サービス残業労基署申告報復事件、男女差別事件、貸金・昇格差別事件も含めた解決で、会社に原告・申し立て人全員の差別是正を行わせ、解決金を勝ちとった。
また、提訴していなかった活動家についても処遇の是正をさせるなど日立との自主交渉、最終的に中労委和解で、先に解決した1都2県の解決水準に優るとも劣らない内容で解決した。

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